夕暮れフェルマータ

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「門を出て故人に逢ひぬ…」 与謝蕪村の俳句鑑賞

作品の取捨のこと

 これは別に蕪村に限ったことではありませんが、同じ題材、同じ主題で、同時に複数の作品が生まれる場合があります。もちろん、表現が異なるのですから、切り取り方やウェイトの置き方に何らかの違いはあるのですが、作った当初はなかなか客観的な判断をしにくいものです。

 また、他者が選句乃至選歌した句集や歌集の場合には、どうしてあの秀句(秀歌)が入っていないのか、と疑問に思うこともあるものです。

 例えば、近代の歌人若山牧水の妻、喜志子夫人が選した岩波文庫版『若山牧水歌集』からは、

 かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ

 という秀歌が漏れています。喜志子夫人はご自身も歌人であり、少なからず奔放であった牧水を生涯に渡って支え続けた方ですから、この歌の良さが理解できなかったとは思えません。何かしらの事情があったのでしょうか。分かりません。

 古いところでは、西行の名歌中の名歌、

 心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕ぐれ

 を、当時の歌壇の重鎮である藤原俊成が理解できず、勅撰の『千載集』にも入れず、さらに『御裳濯河歌合』でも、負けと判じた例もあります。

 

与謝蕪村「門を出て…」の場合

 門を出て故人に逢ひぬ秋の暮     蕪村

 この一句もまた、蕪村の高弟、高井几董が撰した『蕪村句集』から漏れています。そして、この作品と同時に作られた、

 門を出れば我れも行人(ゆくひと)秋の暮

 が入集しているのです。

 これは几董の独断ではなく、生前、蕪村自身が「門を出て」を捨て、「門を出れば」を取っていた可能性が高いのですが、以下のように考えると、それも頷ける気がします。

 すなわち、「門を出れば」の一句は、蕪村が敬仰して止まない芭蕉翁の名句、

 この道や行く人なしに秋の暮

 へのオマージュであり、こちらを捨てて、あちらを取るという選択は、蕪村自身、心情的に難しいものがあったと思われるからです。

 しかし、蕪村の良さがにじみ出た佳品はどちらか、と言えば、軍配は間違いなく「門を出て」の方に挙がるでしょう。

 秋の暮の寂寥感を分け合う故人(旧知の俳友を想定しても良い)がいることこそ、蕪村の本領だからです。蕪村の俳句が醸し出す「懐かしさ」はこんなところからも発信されているのです。

 芭蕉だって、決して孤独だったわけではありません。人間関係だけをみれば、むしろ芭蕉の方が厚みも広がりも有していたかも知れません。でも、風雅(俳諧)の道を追求する時、芭蕉は常に孤独でした。芭蕉を心から敬愛する多くの弟子たちに囲まれていても、それは変わりませんでした。もちろん、だからこそパイオニアなのですが…。

 その点、蕪村は違います。蕪村は「芭蕉翁に還れ」とは強く主張しましたが、自らが新風を興そうという野心は持っていませんでした。先陣を切ってフロンティアを切り開いていくタイプではなかったのでしょう。

 もし、そういうタイプだったら、「門を出れば」の方を捨て、「門を出て」を取っていたかも知れません。

 その上で、彼の遺稿の中から、「門を出て」の一句を見出したことはとても尊いことのように思います。こうした背景も含めて、僕はこの作品が大好きなのです。

 

 それでは、今日はこの辺で擱筆させていただきます。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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