夕暮れフェルマータ

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秋来ぬと目にはさやかに見えねども 『古今集』一首鑑賞

今日は立秋。秋の気配、感じますか?

 今日は立秋です。暦の上では今日から秋ということになります。感覚的にはいかがですか。台風5号の接近・上陸があり、心配なところではありますが…。

 僕は今、ちょっと訳があって、(自宅では)クーラーのない生活をしています。あれは、台風の影響がまだ現れない一昨日の朝のことでした。近くの神社の森からは、蝉(クマゼミ)の声が無数に重なりあって響いてきます。遠くに見える岐阜県滋賀県の県境に連なる山々の上には、雲の峰が鮮やかに立ち上がっています。そんな中、風の音こそしませんでしたが、遠い連山まで包み込む大気の中に、ふと秋気を感じたのです。

 これは全く感覚的なことで、言葉で伝えることは難しいですし、妙な自慢話のように聞こえてしまいそうで気が引けるのですが、自分としては新鮮な発見だったので、書いてみることにしました。

 

立秋の日に詠まれた秀歌といえば…

 言わずと知れた、藤原敏行の、

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる  

                            『古今集』秋上・169

 秋の到来を告げる歌としては、何と言っても、この歌が有名です。もちろん「風によって秋の訪れを感じる」のは、すでに和歌の伝統として定着していました。むしろ、そうでなければ、この歌がこれほど評価され、後々まで、本作を本歌とする和歌作品が大量に生み出されるはずもありません。

 この作品の鑑賞としては、視覚的にはまだ把握できないけれど、聴覚的に「おどろかれぬる(=気づかれる)」とした表現上の対比の妙が言われます。一方で、旧暦と実際の季節とのズレを指摘しつつ、実感というよりは和歌の伝統に則った理知的な作品である、と解説する向きも見られます。

 『古今集』全体が理知に傾いた歌風であることは事実でしょうし、視覚と聴覚を対比させた表現上の工夫などは明らかに狙ったものでしょうから、上記の鑑賞も決して間違っているとは言えません。

 実際、僕自身、ずっと(それこそ40年近く)、この歌をそう解釈し、それ故に、正直に言って若干軽く見ていました(無意識に、歌は詩的真実を詠むべき、と思っていたのでしょう)。

 

出会って40年、自らの不明を愧じる…

 しかし、生まれて初めて、立秋前後に秋の気配を感じてしまった以上、この歌を軽く見ることは金輪際できません。むしろ、自らの不明を愧じるばかりです。

 敏行さん、ごめんなさい。

 まあ、何歳(いくつ)になっても、学ぶことはあるものですね。まさに「風の音にぞおどろかれぬる」です。

 

 それにしても、直近の注意は台風対策でしょうか。皆様もお怪我等、無いようにお気をつけください。

  それでは、今日はこの辺で擱筆させていただきます。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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