夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

小林一茶の人生とその魅力について考える

小林一茶が気になります!

 最近、小林一茶のことを考えています。

 僕は以前から与謝蕪村が好きで、正直なところ、松尾芭蕉に関してはどうしても「勉強」している感が否めません。それでも、ここ数年で、芭蕉の凄みが何となく理解できるようにはなりました。

 僕が芭蕉の発句の中でも最も素晴らしいと思うのは、「荒海や佐渡に横たふ天の河」です。

 この句は、古来、佐渡が流人の島とされてきた歴史を踏まえ、悠久の自然の極とも言える宇宙と、限りある人間の生を対比させています。しかも、それでいながら冷たく突き放すのではなく、どこか大宇宙の太母に抱かれるような感覚をもたらしてくれます。手塚治虫さんの『火の鳥』に近い感じでしょうか。

 同じ境地で詠んだ「夏草や兵どもが夢のあと」の方は、情景・愛惜する対象ともにより詳細に提示した分、一句が湛える世界観は若干小ぶりになった気がします。もちろん、名句とは思いますが。

 さて、一茶です。これまで僕はあまり一茶の句を読んだことがありませんでした。もちろん、人口に膾炙した作品についてはだいたい知っているつもりです。もしかしたら、若い頃には芭蕉の句よりたくさん暗記していたかも知れません。一茶の句はそれほど親しみやすく、理解しやすいのです。

 雀の子そこ退けそこ退けお馬が通る

 痩せ蛙負けるな一茶これにあり

 我と来て遊べや親のない雀

 めでたさも中ぐらゐなりおらが春

 大根ひき大根で道をおしへけり 

 など、挙げれば切りがありません。しかも、芭蕉や蕪村の作品と違って、特に和漢の古典に精通していなくても、理解できるものばかりです。

 

一茶の生涯、早送り

 小林一茶は、芭蕉に遅れること約120年後、西暦1763年に北信濃の柏原という山間の村の農家に生まれました。ただ、当地は山村というほどの山中にあるわけではなく、また、一茶の家は農家としては比較的豊かな暮らしができていたようです。

 継母との関係が悪かったこともあり、一茶は15歳で江戸に奉公に出ます。あるいは、奉公に出された、と言った方が正確でしょうか。このニュアンスの違いはけっこう大きいと思うのですが、僕はまだ、その時の少年一茶の気持ちをしっかりイメージできません。

 ただ、この実家における「悪い」人間関係が、彼の人生を金縛りのように規定していったことは何となく想像することができます。

 江戸で俳諧の勉強を始め、時には乞食(こつじき)に近い境遇に身を落としながらも、何とか俳諧師として立っていけるようになった一茶ですが、彼が39歳の時に、実家の父が亡くなると、継母及び彼女の実子である腹違いの弟との間に遺産問題が生じ、その争いに10年以上の時間を費やすこととなりました。

 それでも、一茶は結局、故郷に帰ります。旅先で病に倒れ、そのまま亡くなった芭蕉、また故郷の場所すら曖昧にしたまま京都で亡くなった蕪村とは、対照的な生き方です。

 

芭蕉、蕪村、一茶、それぞれの立ち位置

 敢えて、キャッチコピー風に言えば、芭蕉は旅の詩人、蕪村は隠棲の詩人、一茶は生活の詩人と言えましょうか、ただ、一茶という人を「詩人」だったと言うこと自体、しっくりこないところもあります(これは決して批判的に言っているわけではありません)。

 芭蕉俳諧即ち風雅のために、世を捨て、その道一筋に打ち込みました。蕪村もまた、彼の個性の中で、芭蕉を心の師と仰いで後に続きました。そういう意味で、この二人は「詩」に人生を捧げた、と言っていいように思います。

 しかし、一茶はそういう生き方は選びませんでした。というより、彼には捨てるべき「世」を持っていなかった。いや、持ってはいたけれど、十五の歳に江戸に奉公に出た(出された)時、すでに、ある意味で芭蕉よりも早く手放さざるを得なかったのです。

 持っているものを自らの意思で捨て去ることと、運命その他によって心ならずももぎ取られるのとでは全く意味が違います。

 

小林一茶の本領

 一茶の偉いのは、何もかも失った地点から自分で道を見つけて歩き続けたところにあります。ただ、その道の向かう先はどうしても、奪われたものを取り返すための道のりになりがちだったかも知れません。

 芭蕉や蕪村は風雅に命をかけました。しかし、一茶は風雅のために生活を犠牲にしたわけではありません。犠牲にすべき生活を持つことすら困難だったからです。

 では、彼は何のために命をかけたのでしょう。言葉の遊びのようですが、僕はこう思います。一茶は生活のために命をかけたのだ、と。

 最近、小林一茶のことをよく考えます。そして、何よりもまず生活者だった一茶を念頭に置いて彼の発句を読むと、今までただ読み流していた作品の数々が、(おかしな喩えのようですが)キッチンに置いてあるさまざまな調理道具のように、くっきりとした輪郭を持って感じられるようになったのです。

 彼の具体的な作品の数々については、また機会を設けてご紹介したいと思います。

 

 今日はこの辺で擱筆致します。最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

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