夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

与謝蕪村・内藤丈草に共通する魅力、そして作品

  俳諧(特に、発句=今でいう俳句)のことを書こうとすると、まず与謝蕪村、それから、芭蕉の弟子の内藤丈草などを取り上げたくなるのは、明らかに僕の個人的な好みが影響しています。

蕪村のこと

 蕪村については、俳諧と同時に絵師として活躍し、同時代を生きた池大雅(いけのたいが)とともに南画の大成者として認められています。遺された書簡等から推測すると、蕪村の生活は、むしろ絵師としての収入に負うところが大きかったようです。ただ、蕪村が大雅と並び称せられたと言っても、微妙に大雅の方が上に見られていたようで、恐らく画業に関しては現在も概ねそのように評価されていると思われます。

 蕪村はまた、特に正岡子規が称揚してから一気に俳諧師としての評価を上げましたが、蕪村が存命していた当時、また没後も含めて、際立って高い評価を得ていたわけではありません。蕪村自身、後世になって自分が、自らが心の師と仰ぐ松尾芭蕉をしのぐほどの評価を得る時が来るなど、思っても見なかったに違いありません。蕪村は俳諧においても、あくまで二番手であり続けたのです。

 

丈草のこと

 丈草についても、彼の本領は、人生のめぐり合わせから選び取った隠遁者としての生活にあるのであって、俳諧はどこまでも余技でした。但し、本職が他にあることに甘えた(悪い意味での)ディレッタントではなく、自ら選んだ生き方から自然に俳諧の道を得た、という誠実さに貫かれていました。師である芭蕉はもちろん、蕉門の人々にも深く敬愛されたのも、日頃の彼の振舞いから、そのことが自ずと理解されていたからに違いありません。

 

蕪村と丈草が好きな理由

 蕪村と丈草には、その詩想において、相似たものを感じます。それは上述したような、俳諧に対する時のやや複雑な心情(敢えて「真情」と言っても良いですが)に依るところが大きいように思います。

 どうも、僕は、彼らのそういう立場、というか、そういう立場を、ある諦め(この言葉も決して消極的な意味で用いているわけではありません)を持って選び取り、生涯、ぶれることなく精進したところに非常な尊敬を抱いているようです。

 自分にはできない。この一言に尽きますが、だからこそ、惹かれてしまいます。

 

丈草・蕪村の作品を少し…

 最後に、蕪村、丈草の作品を幾つか挙げておきます。

 まずは、丈草。

 大原や蝶の出て舞ふ朧月

 淋しさの底ぬけてふるみぞれかな

 うづくまる薬のもとの寒さかな

 最後の一句は、芭蕉の最期を看取った際に生まれた作で、芭蕉からも「丈草、出来たり(=丈草、よくやった)」と褒められたとのエピソードを、同席していた向井去来が書き残しています(『去来抄』)。

 続いて、蕪村。

 うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉(かな)

 草の雨祭の車過(すぎ)てのち

 冬ごもり壁をこゝろの山に倚(よる)

 二句目の「祭」は京都の葵祭のこと。雅と寂の見事なコントラスト。三句目は「冬ごもりまた寄りそはん此のはしら」と詠んだ芭蕉翁へのオマージュになっています。

 

 それでは、今日はこの辺で擱筆致します。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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