夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

挽歌の伝統と余明軍の哀悼歌

「挽歌」とは何か

 「挽歌」は『万葉集』の三大部立の一つ(他の二つは雑歌と相聞)としてよく知られています。元々は、中国において、葬送の際、柩車を挽く役割の者が歌った歌をそう呼んでいたようですが、『万葉集』においては、広く死者を哀悼する歌を指していました。

 『万葉集』に採録されている挽歌は、基本的に公的儀礼の中で歌われたものであり、したがって、同書に採られた挽歌には、古代特有の呪術的な表現や儀礼的な言葉が多く含まれていることが分かっています。

 但し、ここで言う「儀礼的」という言葉に悪い意味はありません。文字通り、葬送儀礼にふさわしい言葉という意味です。それがそのまま呪術的な表現につながることは容易に想像できますよね。

 それは特に柿本人麿の挽歌に顕著な特徴です。柿本人麿の和歌の特徴については、以前このブログでも書いたことがありますので、よかったら読んでみてください。

 

大伴旅人の死を悼んで余明軍が詠んだ哀悼の歌

 ところで、人々の死者を悼む思いに身分の上下はありません。また、当時にあっても、今を生きる我々の感受性でもスッと理解できる普遍的な歌がないわけではありません。

 例えば、有名な「験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし」を含む「讃酒歌十三首」などで知られる大伴旅人大伴家持の父)。愛妻を亡くした後に詠んだ歌の数々は、彼の老いの影とも相俟って胸に迫るものがあります。

 ただ、今回は、旅人自身の歌ではなく、彼が亡くなった際に、彼の従者であった余明軍(よのみょうぐん)という人が詠んだ哀悼の歌をご紹介しましょう。

 余明軍は、その名から推察される通り、百済の王孫系の人物で、『万葉集』には、今回、紹介する歌を含めて八首の作品が収められています。

 かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも  (巻三 455)

 上の二句は主人である旅人が亡くなったことを婉曲に言ったもの。恐らく、旅人は余明軍を信頼して、死の直前まで身近に置いていたのでしょう。折しも季節は旧暦の七月。萩の美しい季節です。すでに重い病床にあったものか、自らは外に出て花を愛でることもできない。だから、そばに控える明軍に尋ねたのです。

「萩の花はもう咲いたかい?」

 明軍は何と答えたのでしょうか。主人である旅人が亡くなってから、その場面を思い出すたび、最期まで雅な心を保って逝ったその姿に、何度も涙を新たにしたことと思います。

 旅人の一本芯の通った雅な心と、それをしっかり感受する従者の明軍。主人と従者の理想的な交情の姿がそこにあります。

 教科書などで取り上げられることは少ない作品だとは思いますが、個人的に大好きな作品ですので、ここにご紹介をさせていただきました。

 

 それでは、この辺で擱筆致します。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

yuugurefermata.hateblo.jp