夕暮れフェルマータ

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芭蕉以前の俳人たち・その壱

連歌から俳諧連歌

 松尾芭蕉が、幽玄・閑寂な境地に立った「蕉風」と呼ばれる俳風を確立する以前の俳諧は、言葉遊びを含めた滑稽を旨としていましたが、その人気は高く、印刷技術の発達とも相俟って、盛んに俳書が作られていました。そうした俳書は、一般の人々から出句料を得て作品を掲載していましたが、それなりに採算が取れていたようです。

 そもそも俳諧は、連歌から分派してきた文芸です。連歌の歴史は古く、素朴な形態として、すでに『万葉集』の時代から確認することができますが、その後、徐々に芸術的な深みを加え、室町時代には様式、内容ともに完成の域に達しました。『菟玖波集』や「水無瀬三吟」などはその賜物と言えましょう。

 連歌の芸術性が高まるにつれ、元々、連歌の部立の一つであった俳諧連歌が独立して捉えられるようになりました。連歌は「雅語」しか用いることが許されませんでしたが、俳諧連歌では、俗語や漢語を自由に用いることができました。また、内容的にも、滑稽が勝った刺激ある表現が本領とされました。

  俳諧連歌はそれだけで大きなムーブメントとなり、松永貞徳の貞門俳諧、西山宗因の談林俳諧へと繋がりました。若き日の芭蕉も、こうした流派に学ぶところからスタートしています。

 今回は、蕉風前夜の俳人たちの作品を幾つか取り上げ、ご紹介したいと思います。

 

初期俳諧の紹介

 霞さへまだらにたつやとらの年        松永貞徳

 寅年の今年は霞さえもトラの毛の斑紋のようにまだらに立って見える、という軽いなぞかけ。「霞たつ」と「年たつ」といった縁語を用いた素朴な滑稽句。

 

 巡礼の棒ばかり行く夏野かな         松江維舟

 丈高く茂った夏草の向こうに棒の先ばかりが見えるのを、お遍路さんの一行だろうな、と想像した体で詠んだ一句。柔らかなユーモアが漂う。

 

 風に乗る川霧かろし高瀬舟          西山宗因

 高瀬舟は船底が浅く、舟足の早いのが取り柄。川面を滑るように行く高瀬舟のまわりには、折しも川霧が軽やかに流れている。景の切り取り方が巧です。

 

 長持へ春ぞ暮れゆく衣がへ          井原西鶴

 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる西鶴の作品。冬物から夏物への更衣(ころもがえ)には、花見の際にまとった「花衣」なども長持(ながもち)に仕舞われる。それと同時に、春という季節も長持の中へと暮れていくようだ、という機知の句。長持という日常の家具に焦点を当てて俳諧味を出していますが、単なる機知に止まらない温かみが感じられます。

 

 それでは今回はこの辺で擱筆させていただきます。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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