夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

『万葉集』秀歌鑑賞 大伴家持の「春愁三首」

 大伴家持と言えば、『万葉集』後期の代表的な歌人で、詳細は不明なものの、『万葉集』の編纂にも深く関わった人物として知られています。古来、大伴氏は軍事の分野で朝廷に仕えてきた名門でしたが、蘇我氏や、それに代わる藤原氏が台頭するに従って、徐々にその勢力を失っていきました。家持は氏の長として、その栄光と蹉跌とを一代のうちに味わうことになったのです。

 家持自身、中納言に任ぜられるなど、大伴氏の長にふさわしい地位を得た一方、その死の直後に発覚した藤原種継暗殺事件の首謀者として官籍を剥奪されています。

 家持は貴公子と呼ぶにふさわしい繊細な感覚の持ち主でした。しかし、だからこそ、氏存続の危機的状況を力強く打開していくバイタリティーは持ち合わせていませんでした。とかく政界の中枢から遠ざけられがちな現状に対しても、雅の世界に逃避することの方が多かったようです。そして、彼にとっては極めて不本意なその状況の中で、真の個を確立した名歌を生み出しました。それが、世に「春愁三首」として喧伝される、以下の短歌です。

 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影(ゆふかげ)にうぐひす鳴くも

                              (巻十九 4290)

 我がやどのい笹群竹吹く風の音のかそけきこの夕(ゆふべ)かも(巻十九 4291)

 うらうらに照れる春日に雲雀上がり心悲しもひとりし思へば  (巻十九 4292)

 家持は、これら三首の歌を、自らの憂いを払う唯一の方途として詠んだと記しています(上記三首の後に漢文にて記載)。

 実際、これらの歌は、伝統的な相聞往来の歌とは異なり、誰かに向かって詠まれたものではありません。実は、これはありそうで、なかなかないことです。

 家持の偉大な先輩である柿本人麿の有名な、妻との別れを歌った長歌(并に短歌)も、実際は、宮廷の、恐らくは後宮の女性たちに披露するために歌われたとされていますし、後世の、狭義には相聞往来の歌に分類されない叙景歌も、結局は宮廷の歌会等で披露されるために作られていることを思うと、家持のこの歌の孤高性に改めて胸を打たれる思いがします。

 そういう意味で、家持のこの三首は、時代の制約を超えた、永遠に連なる詩と言っても過言ではないでしょう。後代の作品から同種のものを見つけ出すのもあるいは困難なことなのかも知れません。乏しい知識を振り絞って、敢えて挙げてみれば、西行の、

 心無き身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮れ

 あるいは、良寛の、

 山かげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも

 などが思い出されます。しかし、西行良寛の作品には、彼らが生涯をかけて打ち込んだ仏教的な境地が染み渡っており、その分、純粋な詩としてのセンシティブな心の震えは抑制されています。

 そういう意味では、むしろ、近・現代の短歌作品の中にこそ、「春愁三首」に連なる詩を見出すことができるかも知れません。そんな可能性を秘めた上田三四二さんの絶唱を挙げて、擱筆させていただきます。

 ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも