夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

ペルセウス座流星群・星座の和名のことなど

 星の記憶

 星や星座についてはとても詳しいとは言えないのですが、幾つか印象的な思い出もあるので、書いてみます。

 以前から、星空を全く見上げないわけではなく、人並みに、北斗七星やカシオペア座、オリオン座や蠍座くらいは分かるようになってはいました。また、登山をする関係上、場所によっては、文字通り、星が落っこちてきそうなほど、無数の星が輝いて見えることも知っています。まあ、普段は渓谷の中に泊まることが多いので、空も当然狭いのですが、稀に冬の深山(とは言っても、奥秩父瑞牆山とか八ヶ岳連峰の天狗岳などですが)に出かけて、尾根筋に近いところに泊まったりすると、さすがに星空の美しさに心を奪われます。

f:id:yugurelab:20170706155945j:plain 燃え立つ銀河。CC0の素材画像をお借りしています。

ある年のペルセウス座流星群

 流星群詣にもよく出かけました。大抵は期待外れに終わるのですが、ある年のペルセウス座流星群は大当たりでした。あれはまだ、徳山ダムが完成するずっと前で、揖斐川の源流にも車で入れた時代でした。仕事を終えて、夕食を済ませ、車を走らせました。工事中の徳山ダムサイトをすぎ、福井県との県境にある高倉峠方面へと続く林道を延々と登っていきました。

 ちなみに現在、少なくとも岐阜県側からは入れないようになっている可能性が高いです。道路が崩壊しているとの情報も聞きました。したがって、この記事は、皆様に当地へのお出かけをお勧めするものではありません。どうかご注意ください

 さて、この夜は確かに凄かった。すでに運転中からフロントガラスをかすめて星がビュンビュン飛んでいたのですが、ようやくたどり着いた峠で車から降りると、まあ、降るわ降るわ。どの方角がよく見える、とか、そういうレベルではなくて、満天の空のあちこちから数秒に1回の間隔で星が流れるのです。これだけ流れると、今まで定位置で輝いていた星がスッと落ちたような錯覚に陥ります。

 その日は結局、ほとんで徹夜で、帰宅した時はもう明け方。玄関を入る前に振り返った北の空に、ほとんど火球と言っても良いような明るい流星を見つけて有終の美(?)を飾った次第です。

 

星座の発明

 ところで、現在、一般に知られている星座というのは、古代オリエント文明に端を発し、ギリシャ神話のエピソードなどと関連づけられて定められたものに、近世になって更に補足し整理した八十八星座を指すことが多いようです。

 でも、星は地球上のどこでも見えます。そして、人間の感覚なんて、洋の東西、旧大陸・新大陸を問わず、それほど変わるものではありません。実際、古代中国においても、二十八宿を分ける基準となる星座が定められていましたし、同様のことはその他の地域でも見られたようです。

 また、上記の例ほどには体系化されていなくても、ローカルな星座名はそれこそ星の数ほどありました。野尻抱影という方の書いた『日本の星「星の方言集」』には、日本各地から集めた生活感あふれる星座がたくさん紹介されています。

 

星座の発見(笑)

 ところで、僕も新しい星座を発見したことがあります。いや、もちろん新発見ということではありません(あっ、でも考えてみれば、世間に認知されるかどうかを問題にしなければ、自分で星座を創始したって、誰に文句を言われる筋合いもありませんね)。

 それはこういうことです。とある晩春の夜半。ちょっとコンビニまで買い物に出かけた帰り道。何気なく夜空を見上げると、うっすらと靄のかかった南の空の少し低いところにこじんまりと瞬く、ひしゃげた台形をした四つの星に目が留まったのです。その頃、ようやく識別できるようになっていた獅子座の後ろ足の直下でした。

 僕はその時、生まれて初めて、これは何かの星座なんじゃないか、と直感したわけです。家に帰って早速調べてみると、からす座という八十八星座にも含まれた立派な星座であることが分かりました。これはちょっと嬉しかったですね。ちなみに、このからす座、上述した『日本の星「星の方言集」』にも掲載されていて、「四つ星」とか「帆掛け星」などと呼ばれていることが書かれていますが、その見た目から十分に納得できると思いました。

 まあ、ちょっと大げさに言うと、僕もやっぱり人間の端くれで、ユングの言う「集合的無意識」か否かは分かりませんが、とにかく根っこのところで、古代の人々も含めて、全人類と繋がっているんだな、と、不思議な感慨に浸ったものです。

 それでは今日はこの辺で擱筆致します。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。