夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

ブックレビュー 映画「転校生」の原作    『おれがあいつであいつがおれで』を紹介します!

長谷川集平さんのイラストもキュート

 あれは二十歳になるかならないかの頃、半年ほど、集中して児童文学を読み込んだ時期がありました。学校が休みの日に朝から図書館に通って、気になった本を読んでいきました。当時は児童文学や絵本についての評論や紹介本も多く出版されていましたから、そこからも情報を得たりしていました。

 今日、ご紹介する『おれがあいつであいつがおれで』も、その当時、地元の図書館で読んだのが初読でした。当ブログでもご紹介した、絵本『トリゴラス』の作者でもある長谷川集平さんの挿絵が散りばめられたピンク色の表紙がとてもキュートで、ワクワクしながらページをめくった記憶があります*1

 

設定は古典的でも、面白くて、ためになる

 主人公の男の子と、ひょんなことから体が入れ替わってしまう幼なじみの女の子の物語。本人たちにとっては文字通り絶望的な状況であり、悲壮感も十分なのですが、次々と繰り出されるデフォルメされたエピソードが秀逸で、ぐんぐん読み進んでしまいます。

 相手の立場に立って考える、などと言うと、きれいごとのお説教になりかねないのですが、このふたりは、否が応でも、そうせざるを得ない境遇に追い込まれてしまいました。

 さて、その結果はどうだったでしょう。主人公の男の子だけを見ても、いろいろと気付いたことがあるようです。思いつくまま、ランダムに挙げてみますと、自分と母親、あるいは幼馴染の彼女と彼女の母親との関係を見直すことになりましたし、思春期の入り口に立って、身体的にもいろいろと煩わしいことのある異性への思いやりも芽生えたようです。また、とある出来事をきっかけに、感受性のある同級生の女子から、自分についての好意的なエピソード(得意な機械いじりを活かして、玩具の車を修理してあげた)を聞かされて、新たな自己像を構築することもできました。

 

教育的配慮もちゃんとしてます

 登場する大人たちは相当デフォルメされていますが、女の子が気をつけなくてはいけない性的いたずらのエピソード(ただし未遂)が、一度ならず二度までも織り込まれていることは、確かに意味のあることだと思います。本当の意味での教育的配慮と言えるかも知れません。

 仮に、こういうストーリー展開でありながら、現実に起こり得る性的なリスクを避けて通ったとしたら、それは相当に罪なことでしょう。

 なお、1982年には、本書を原作とした映画「転校生」が制作され、映画そのものも高い評価を得ています。

 

 作者の山中恒さんは、テレビドラマにもなった『あばれはっちゃく』シリーズや、戦時教育に関して膨大な資料と作者自身の体験に照らしてまとめ上げた『ボクラ少国民』シリーズの著者としても知られています。また、僕にとっては『ぼくがぼくであること』も忘れがたい作品です。機会があったら、またご紹介してみたいと思います。

 

  

yuugurefermata.hateblo.jp

 

*1:現在は絶版? Amazonで検索すると、「つばさ文庫」版が出てきます。