夕暮れフェルマータ

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与謝蕪村の三句鑑賞 / 小さきものへの愛

小貝・白露・茨の棘・かかり舟

 与謝蕪村の作品は絵画的である、とよく言われます。もちろん、それに間違いはないのですが、彼の対象を見つめる眼差しには、どこか寂しさを分け合うような温もりを感じます。一見、純粋な写生の句に見えながら、控えめに優しい情緒を匂わせてくるのはさすがです。

 今回は、蕪村が「小さきもの」を取り上げて詠んだ作品を三つほど取り上げてみたいと思います。

 まず、一句目。

 春雨や小磯の小貝ぬるゝほど

 音もなく柔らかに降る春雨の奥に、小指の先ほどの小貝を浮かび上がらせ、「春雨」によって、「小磯の小貝」という理想化された対象以外の景が捨象され、淡彩の水墨画的な雰囲気を醸し出しています。

 二句目は、秋の句(季語は「白露」)。

 白露や茨の棘(はり)にひとつづゝ

 秋になり、花も葉も枯れ落ちた茨の棘の一つ一つに露の玉が煌めいている様を詠んでいます。侘びの風情の中に一茎の花を置こうとする「茶」の精神に通うものを感じますが、「白露」という世の無常を象徴するものと、枯れかけた生命を表す秋の「茨」を取り合わせても、蕪村が詠むと、どこか甘美な気配が漂いますね。

 最後の一句は、庶民の慎ましい生活に目を向けた作品です。

 もの焚(たい)て花火に遠きかゝり舟

 舟上で生活しているのは、庶民の中でも下層に位置づけられる人々であったと思われます。折から、夜空には華麗な花火が上がっています。その花火に照らされて、暗い水面に小さな舟の影が浮かび上がります。夕餉の支度でしょうか。舟の上から小さな炊煙が立ち上っています。

 華やかな花火と、そんなことに関わる余裕とてない貧しい生活者とが、儚い光の中で、運命のように切り結ぶ一瞬を、寂しい優しさをもって切り取った佳品です。

 

蕪村の小径・人懐かしさの理由

 蕪村は、「これきりに径(こみち)尽きたり芹の中」や「さみだれに見えずなりぬる径かな」などのように、行き止まりや行方も定かでない小径の佇まいを好んで句にしましたが、それも彼の人生への向き合い方の誠実な反映であるように思います。

 生前の蕪村は、芭蕉とは異なり、人並み以上に生活者としての苦労を味わいました。それでいながら、文字通り、臨終の辞世に至るまで、その豊穣な詩魂が枯れることがありませんでした。その根底には、常に「小さきもの」「迷えるもの」への共感と愛情が流れていたように思います。

 蕪村の作品が、目も眩むような豊穣さを誇りながら、どこかに一匙の人懐かしさを湛えているのも、そんなところに理由があるのではないでしょうか。

 それでは、今日はこの辺で擱筆致します。最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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