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本歌取り / 表現技法別に見る和歌・その弐

本歌取り・概説

 和歌の技法の一つに「本歌取り」があります。『万葉集』においても、その萌芽と見られる例はありますが、確固たる技法として確立されたのは平安時代の末頃です。

 「本歌取り」という技法がこの時期になってようやく本格的に用いられるようになったのには、それなりの理由があります。

 本歌取りというのは、やや抽象的に言うと、元になる和歌(これを「本歌」という)をリスペクトしながら、換骨奪胎して、新たな息吹を吹き込む手法です。先人が生み出した作品から真摯に学び、その先にある新しい詩情を求めて研鑽していく中で生まれたのが本歌取りだったわけです。

 ですから、本歌取りが成立するためには、まず一定の数の秀歌の蓄積がなければなりません。また、和歌の「美」に関する共通の理解も必要となります。そのために、『万葉集』の後、数百年の時間がかかったとしても、さほど不思議ではありませんね。

 本歌取りを積極的に取り入れたのは、平安末期の大歌人である藤原俊成です。そして、その子息である藤原定家が理論的な肉付けをしました。定家はもちろん、実作者としても優れた本歌取りの作品を遺しています。

 

本歌取りの作例

 ここでは、藤原定家及び彼と同時代に活躍した西行の作品を取り上げて、本歌取りという技法の一端に触れてみたいと思います。

 まず、藤原定家の作から、

 駒とめて袖うちはらふ陰もなし佐野のわたりの雪の夕暮

 この歌の本歌は、『万葉集』に採録された長忌寸奥麿(ながのいみきおきまろ)の、

 苦しくも降り来る雨か三輪の崎佐野の渡りに家もあらなくに

 です。奥麿の本歌は、実際に佐野(和歌山県新宮市)の辺りを旅した時の実体験出会ったと思われます。

 定家の作は、本歌の雨を雪に代え、時刻を夕暮れに定めています。そして、その蕭条とした雪景色の中に、馬上の貴人を配して、極めて印象的な絵画的作品に作り変えています。本歌の言葉や設定を巧みに用いながら、全く異なる詩情を生み出していることが分かりますね。

 読者の方は、本歌の切実で率直な心情を背後に感じることで、定家によって描き出された幻想的な雪景色をよりリアルに感受できる仕組みになっています。

 次に、西行の作。

 津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり

 この歌の本歌は、これも有名な能因法師の、

 心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を

 です。

 こちらの場合は、若々しい蘆のそよぐ明るい難波潟の春景色から、荒涼とした晩秋の景への場面転換が見られますが、より本質的な違いは別にあります。本歌が、相聞往来的な雰囲気を持った柔らかな歌柄なのに対し、西行作の方は、季節の推移に仏教的無常観を重ねて普遍的な秀歌になっています。

 

作例の補足

 但し、西行のこの作品は、本歌取りとしてはちょっと過激かも知れません。というのは、本歌の詩情が非情なまでに否定されているからです。これは西行の詩精神の気高さを示すものであり、批判するのは全くもって見当違いではありますが、本歌取りについて理解を深めるために、能因の同じ歌を本歌とする、より典型的な本歌取りの例を挙げてこの稿を終えたいと思います。

 心なき我が身なれども津の国の難波の春にたへずもあるかな   藤原季通

 見せばやな志賀の辛崎ふもとなる長柄の山の春のけしきを    慈円

 

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