夕暮れフェルマータ

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和歌史における柿本人麿の特異性について考える

 『万葉集』の、いや、和歌の歴史における最高位の歌人として、柿本人麿の名を挙げる人は多いでしょう。素人ながら、僕もその意見に賛成です。

 もちろん、千数百年に及ぶ和歌史の中で、新たな展開のきっかけを作った人物は少なくありません。よく知られた春愁三首によって、独吟的な抒情詩としての扉を開いた大伴家持をはじめ、『古今和歌集』の紀貫之、『新古今和歌集』の藤原定家などの名前がすぐに浮かびますし、『玉葉集』の京極為兼の名をそこに加える人もいるでしょう。

 しかし、柿本人麿は後続する彼らとは次元の異なる歌人です。恐らく、一つの民族の文化史の中でただ一度しか現れない折り返し点において、孤高の光を放っているからです。

 少し具体的に書いてみます。『万葉集』の中には、作者の分からない作品が多くあります。いわゆる「詠み人知らず」として採録された東歌のような歌群はもちろんですが、巻頭の雄略天皇御製の歌謡をはじめとして、高位の誰それに仮託された伝承歌も少なくありません。

 歌謡とはそもそも集団の中から生まれ、歌い継がれてきたものであり、そこに個人の思いを注ぎ込むことは行われていませんでした。その一方で、言霊という表現に端的に現れているように、ある状況で用いられる言葉には、鎮魂(タマフリ・タマシズメ)といった呪力が宿っていると考えられていました。

 柿本人麿は、日本語を文字としてどう書きあらわすか、という文化史の一大イベントの現場に立ちながら、集団を代表する者として、鎮魂の歌を詠ったのです。

 柿本人麿の後、和歌にこのような働きを求めることはなくなりました。若干の余熱を残して、和歌は「鎮魂」の舞台から身を引いたのです。

 最後に、実作を挙げて補説とします。滅びた者(物)への哀惜の思いが主情となった以下の四作品を読み比べてみてください。

 淡海(あふみ)の海夕浪千鳥汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

                                 柿本人麿

 津の国の難波の春は夢なれや葦の枯葉に風わたるなり        西行法師

 夏草や兵どもが夢のあと                     松尾芭蕉

 かたはらの秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな   若山牧水

 柿本人麿の作品は、壬申の乱に敗れ、大友皇子の自害と共に廃墟となった近江の荒都を想って詠んだものです。しかし、そこには明らかに、壬申の乱における勝者の側からする、無念のうちに死んでいった敗者に対する鎮魂(この場合は、タマシズメ)の意味が込められています。それは、千鳥(古来、鳥には人の魂が宿ると信じられていました)が鳴く(=泣く)という表現からも読み取ることができます。

 一方、西行法師以下の三首は、それぞれに秀歌であり、秀句ではありますが、モチーフの外観は似ているものの、ある集団を代表して、相手方の鎮魂を行うというニュアンスは一切ありません。彼らはそれぞれに、深い思念、繊細な詩情を見事に歌い上げていますが、それはあくまで個の立場からの抒情であって、言葉を集団的な呪術の手段として用いてはいないのです。

 柿本人麿の背後には、古代的な歌人の集団が存在したとも言われています。それも、当時、信じられていた歌の威力を思えば、十分に納得がいきます。柿本人麿の歌を読む際には、少しでもイメージを膨らませて、当時の人々の「言葉」に対する思いを胸裏に蘇らせる必要がありそうです。

 今日は、これで擱筆致します。最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

 

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