夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

歌人・京極為兼のスーパーリアルな美的世界

 京極為兼鎌倉時代末期に生きた歌人です。当時の常識であった伝統に則った作歌方法に異議を唱え、「心のままに詞のにほひゆく」*1和歌を良しとする歌論を推し進め、実作にも多くの佳品を遺しました。

 為兼は、藤原定家の曾孫であり、政治家としても活躍し、権大納言という高位にもつく一方、二度の配流に遭うなど、浮き沈みの多い人生を送りました。彼の和歌への精進も、そうした政治的野心と無関係であるとは言い切れませんが、為兼が生涯をかけて追求した清新な歌境は、「京極派和歌」として一世を風靡し、近代になると、改めてその豊穣な美的世界が高く評価されるようになりました。

 それでは、京極為兼の作品を読んでみましょう。

 沈みはつる入日のきはにあらはれぬ霞める山のなほ奥の峰

 枝にもる朝日の影のすくなさに涼しさふかき竹のおくかな

 一首目は、春の夕暮れ(マジックアワー)に、寸刻立ち現れた夢幻的な遠峰を見事に描出しています。自然を凝視し、さらにその奥まで心眼を注ぎ込む境地には恐るべきものがあります。

 二首目もまた、その凝視の深さ、確かさは変わりません。詠まれているのは実景のはずなのに、余りのリアルさが却って違和を生じさせ、まるで仙界を覗き見たかのような不思議な感覚を呼び起こされます。

 さすが、幽玄の美を極めた藤原俊成・定家父子の血を継ぐ人物です。為兼が主張したのは、歌論『為兼卿和歌抄』でも説いていた「心のままに詞のにほひゆく」境地だったのですが、実作においては、それが、類型化した伝統美を超克した圧倒的な美の異界を現出させることに成功しています。

 京極派には、為兼以外にも優れた作品を遺した歌人が少なくありません*2

 機会があったら、ぜひ取り上げてみたいと思います。

 

 

*1:京極為兼『為兼卿和歌抄』

*2:伏見院、永福門院、藤原為子など。