夕暮れフェルマータ

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江戸時代末期の俳諧 / 成美・月居・道彦の佳句

 18世紀も末になると、幕藩体制の硬直化がとみに進んで、末期的な様相を呈してきます。それに伴い、体制側からの管理、締めつけが強化され、自由闊達な表現がしにくくなってきました。そのため、文芸においても、自らは安全地帯に身を置きながら、陰で皮肉を効かせるようなスタイルが主流になっていったのです。川柳や狂歌の流行も、そうした傾向と無関係ではありません(もちろん、川柳や狂歌そのものを貶めるつもりはありません)。

 俳諧もまた、芭蕉・蕪村らによって達成された高い境地から、逃避的で、ややもすると低俗なレベルに甘んじることが多くなったのは否めない事実でした。

 しかし、そんな中にあっても、時折、幽かな光を放つ隠れた佳品が出現することがありました。今回は、江戸時代末期の爛熟した文化の中で生まれた愛すべき佳句をいくつか取り上げてご紹介します。

 

 まずは、夏目成美。浅草蔵前の裕福な札差*1で、清新典雅な作風で知られました。

 撫子の節ぶしにさす夕陽かな

 ふはと脱ぐ羽織も月の光かな

 のちの月葡萄に核(さね)のくもりかな

 など、刹那に現れる美を瞬時に切り取って見せる手腕はなかなかのものです。

 

 次に、江守月居。蕪村の高弟として知られたが、後年は平俗に傾いていきました。

 きらきらとしてなくなりぬ朝鵆(ちどり)

 朝の光の中、須臾の遠景として映る千鳥が幻想的に描かれています。

 

 もう一人、鈴木道彦。加舎白雄に師事し、平俗ながら才気ある句風が特徴です。

 ゆさゆさと桜もてくる月夜哉

 花見から戻るほろ酔いの男でしょうか。朧月の下、大きく揺れる桜の枝のみを描写して、鷹揚な風情を巧みに表現しています。

 

 ちなみに、この時期の重要な俳人として、小林一茶を逸することはできませんが、彼についてはまた稿を改めて書いてみたいと思います。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

yuugurefermata.hateblo.jp

 

*1:江戸時代、旗本・御家人の代理として、蔵米の受取りおよび売さばきの事務をつかさどり、これに対する手数料を取り、また、その米殻を担保として金銀を貸し付けることを業とした者。江戸浅草蔵前に店を構え、その店を蔵宿といった(『広辞苑 第六版』)。