夕暮れフェルマータ

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絵本『ひさの星』  自己犠牲をめぐって

作者の紹介 & 本書の梗概

 絵本『ひさの星』は、子どもの手に余る大判で、基本的には読み聞かせすることをイメージした装丁のようにも思えます。

 文は『ベロ出しチョンマ』『モチモチの木』の斎藤隆介、絵は『赤い蝋燭と人魚』『戦火のなかの子どもたち』の岩崎ちひろ。斎藤さんは、骨太の民話的な語り口でメッセージ性の強い秀作をたくさん世に送りだした方です。一方、岩崎さんは、柔らかなタッチの水彩画で、子どもの表情を描かせたら右に出る者はいないと言われるほどの名手。亡くなってもうずいぶん経ちますが、今でも熱烈なファンがたくさんおられます。

 「ひさは、なんにも しゃべらん むくちな おなごわらし」。「みんなで だれかのいえサ あそびにいくと、いちばんあとから、あがってきて、そっと うしろに すわるような わらし」でしたが、彼女は同時に、野良犬に襲われそうになった赤ちゃんをかばって自分が噛み傷だらけになり、母から「いったいぜんたい、これはどうしたこったバ!」と叱られても、ただ「おら、いぬに かまれて…」とだけ答えるような、そんな「おなごわらし」でもありました。

 ひさは、「川っぷちの あさの ほたるを とろうとして 川に おちた」三歳になる政吉を川に飛び込んで助け上げますが、自分はそのまま流れに飲まれて死んでしまいます。「そして ひさが みえなくなった日の よるから」「ひがしのそらに あおじろい星がひとつ かがやきはじめ」ます。村の人々は、後々まで、その星を見るたびに「ああ、こんやも ひさの星が でてる」と言い合いました。

 

テーマは究極の自己犠牲

 この物語の肝は、人並み以上に控えめで身体的にもか弱い少女が、誰に知られることも期待せず、自らの命と引き換えに、自分より更にか弱い幼児の命を救ったところにあります。文字通り、究極の自己犠牲です。特に「誰に知られることも期待せず」というところ。英雄的な自己犠牲のエピソードなら、美談として人口に膾炙することもあるでしょう。

 しかし、ひさの場合は違います。ひさの行為が表に現れたのはほとんど偶然です。その場にはわずか三歳の政吉とひさしかいませんでした。三歳の政吉がひさの行為を正確に伝えられるとは考えにくい。実際、政吉は「ひさが、ひさが!」と言うばかりで、当初は、ひさが政吉を川に突き落としたものと誤解されていたくらいです。

 

本書の持つ時代性と普遍性

 現実にこんな少女、いや、人物がいたとしたら…。その人物はもうすでに死んでしまっているのではないでしょうか。

 これは厳しい。とても厳しい現実です。同じ作者の『モチモチの木』のあとがきを読むと、そこには、ベトナム戦争という時代的な問題意識が強く流れていることが分かります。しかし、好むと好まざるとに関わらず時代は移り、もはや当時の人々に共有されていた問題意識をリアルに感じることはできなくなってしまいました。

 『ひさの星』を当時の時代感覚で読んだ場合、個々の読者に突きつけられる自己犠牲の課題は、その時代性に薄められて、よほど安全なレベルに止まると思われます。しかし、時代の共同性という安全弁が取り払われた今、『ひさの星』が持つ自己犠牲というテーマは、人間に課せられた永遠の課題として、読者ひとりひとりの胸にストレートに突き刺さってきます。

 

子どもたちへのメッセージの送り方への配慮を…

 老婆心ならぬ老爺心から申し上げれば、初めて本書を幼い子に与える際には、ぜひ、その子らを膝の上に抱いて、優しく読み聞かせてあげてほしい。そして、ひさのみならず、登場人物ひとりひとりの思いをていねいに辿ってあげてほしい。

 例えば、岩崎さんが迫真の描写力で描き上げたように、川に流されたひさを懸命に探す村の人々の姿にも気づかせて上げてください。特に、24〜25ぺージに見開きで描かれた一枚には忘れ難いものがあります。僕には、この後ろ姿の男性が政吉のおどう(父)に見えて仕方ありません。

 

 蛇足ながら、本書の裏表紙に描かれたひさの後ろ姿を見ると、ホッとします。何となく、どこかでひさが生きているように思えるからです。もし、そこまで狙ってレイアウトされたのだとしたら、うーん、さすがですね(笑)。

 

ひさの星 (創作絵本 7)

ひさの星 (創作絵本 7)

 

 

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