夕暮れフェルマータ

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『古事記』の一首鑑賞 / 「さねさし相模の…」

さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも

  父、景行天皇の命により東征に向かったヤマトタケルは、走水の海(現在の浦賀水道)を航行中、海神の怒りに触れ、激しい時化に見舞われます。その際、海神の怒りを鎮めるために自ら入水することを申し出たのが、ヤマトタケルの妃オトタチバナヒメ*1でした。

 荒れ狂う波の上に敷いた幾重もの畳の上に座ったオトタチバナヒメは、夫ヤマトタケルに向かって別れの歌を歌います。 

(さねさし=枕詞)相模の小野で燃え盛る火のその火の中に立って、言葉をかけてくださった君よ、と。

 この歌の背景には、ヤマトタケルが相武(さがむ)の国の国造に騙されて火攻めに遭ったエピソードがあります。ヤマトタケルはこの時、叔母のヤマトヒメから授かった剣(草薙の剣)を振るって周囲の草を薙ぎ払い、火打ち石で向かい火をつけて難を逃れたのですが、ヒメの歌には、そんな切迫した事態にあっても、妻である自分を気遣ってくれた夫に対する感謝と愛情が籠っているように思います。

 ところで、ヤマトタケルの物語は文字通り物語であって、史実そのものではありません。従って、主人公のヤマトタケルはもちろん、名前からしてチャーミングなオトタチバナヒメ*1も伝説上の人物ということになります。

 それでは、この歌の本当の作者は誰なのでしょうか。

 この歌に限らず、『古事記』に記された神話や伝説、物語には多くの歌謡が組み込まれていますが、これら歌謡の多くは、往時、各地で歌われていた民謡にその出自が求められるようです。しかし、それが、どこで、どのような経緯をもって、それぞれの物語に組み込まれていったか、ということになると、まだまだ不明な点が少なくないのです。

 但し、上掲の歌については、元々は野焼きを舞台とした恋歌(民謡)であったろう、ということで衆目の一致を見ています。

 春に行われる野焼きは、土地の生命力の再生を図る手段であり、燃え盛る炎(=火の穂)もまた生命力の象徴です。更に、当時の「野」は、古の恋人たちが人目をはばからず愛し合える格好のデートスポットでした。

 『万葉集』には、他人の目がうるさい「里」での逢瀬を嫌い、人目につかない遠くの「野」でこそ逢いたいのに、と、気の利かない恋人を非難する東歌*2採録されています(巻十四3463)。

 いずれにしても、上掲の歌は、原初的な恋のパッションをそのまま歌い上げたような力強さに溢れていて、いつ読んでも理屈抜きに感動させられます。古来、星の数ほどある恋歌の中でも第一級の作品であろう、と勝手に独り決めしている次第です。

 

                 参考文献:三浦佑之『口語訳 古事記文芸春秋 2002

                      三浦佑之『古事記講義』文芸春秋 2003

                      多田一臣『万葉語誌』筑摩書房 2014

                      加藤静雄『続万葉集東歌論』おうふう 2001

                      居駒永幸『古代の歌と叙事文芸史』笠間書院 2003

                      寺川真知夫「『万葉集』の橘 その表現の展開  

                       『同志社女子大学日本語日本文学』第7巻 199510

 

yuugurefermata.hateblo.jp

 

 

*1:オトタチバナヒメ」は『日本書紀』では「弟橘媛」、『古事記』では「弟橘比売命オトタチバナヒメノミコト)」と書かれています。「弟」は、美しい、可愛い、の意。「橘」は、『古事記』や『日本書紀』において、永遠の命をもたらす「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」とされ、その咲きかけた蕾が、照り輝くように美しい適齢期の乙女の姿にも喩えられています。  

*2:「東国の歌」の意。但し、「東国」の範囲は文献、状況によって異なります。『万葉集』に採られた東歌は基本的に作者不詳ですが、それら全てが民謡であるとは言えないようです。