夕暮れフェルマータ

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与謝蕪村の一句鑑賞 その七

小鳥来る音嬉しさよ板びさし

 作者は屋内に居て、ふと軒先から聞こえる微かな物音に気付きます。耳を澄ますと、時折、可憐な鳴き声も聞こえてきます。板びさしの上を小鳥が歩き回っているのです。「ああ、もう小鳥がやってくる季節になったか」と、嬉しい気持ちになりました…。

 句意はこんな感じでしょうか。この句、季語は「小鳥来る」で、季節は秋になります。俳諧(俳句)では、渡り鳥に関わる季語がたくさんあります。理論上では四つのパターンが考えられます。春季に去る冬鳥、来る夏鳥、秋季に去る夏鳥、来る冬鳥です。

 但し、春季に来る夏鳥、秋季に去る夏鳥については「燕来る」「燕帰る」等を除き、あまり例がありません。日本に飛来する夏鳥は群れをなさないため、把握にしくいからだと思われます。また、秋季に去る鳥も、猛禽類であるサシバなど一部を除き、小鳥が多く、しかも各地に散らばっていた個体が徐々に群れを作りつつ移動していくので、これも実際問題として感知しにくいのでしょう。

 さて、春季に日本を去る冬鳥は「鳥帰る」「雁帰る」「鴨帰る」「鳥雲に(入る)」などと表現されます。また、冬鳥が秋季に日本に来ることを「鳥渡る」「雁渡る」「初雁」「鴨帰る」「初鴨」などと言います。

 上掲句に用いられた季語「小鳥来る」は、「鳥渡る」に、可憐さ、かそけさが加味された感じで、一句の品位を保つのに決定的な役割を担っています。

 ところで、この句、表面上の意味だけをなぞれば、『古今和歌集』に載る有名な古歌、藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」のバリエーションとも見えますが、そこに讃えられた詩情は真逆と言ってもよいほどに異なります。

 「秋来ぬと…」が暦の上での立秋と実感(立秋は八月上旬で、まだまだ暑い盛りです)とのずれを前提として、それでもなお、伝統に則って「秋」を感じ取ろうという姿勢でいるのに対し、蕪村の一句は、ごくごく素直に「来る秋」の象徴として「小鳥が来た」ことを喜んでいるのですから。実際の季節感に沿って定められた季語の強みとも言えましょう。

 何れにしても、蕪村ならではの、小動物へ繊細な愛情が滲み出た佳品だと思います。

 

 それでは、今日はこの辺で擱筆致します。ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

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