夕暮れフェルマータ

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『万葉集』の一首鑑賞・その四 「信濃なる…」

信濃なる千曲(ちぐま)の川のさざれ石(し)も君し踏みては玉と拾はむ

 『万葉集』巻十四所収の東歌*1

 歌意は「信濃の国にある千曲川の小石も、あなたが踏んだら、私は玉と思って拾いましょう」*2

 枕詞も序詞も使わず、恋する乙女の純情可憐な思いを、ごく身近な景物に託して歌っています。恋人が触れたというだけで、ただの小石が珠玉にもなるという「思い」は、現代においても十分に理解されるでしょう。

 但し、当時の人々と現代の我々の「思い」が全く同一であるかどうかは分かりません。わざわざこんな水を差すようなことを言うのは、古代の人々にとっては、さまざまな自然現象や事物、言葉などが、占いや呪(まじな)いの対象になっていたからです。

 上掲歌で言えば、恋する少女が拾い上げる小石にも、現代に生きる我々がイメージする以上に、強い念が込められている可能性があるということです。「言霊」が信じられていた時代です。もしかしたら、小石という事物以上に、それを言葉にすることに意味があったのかも知れません。

 古代の人々には、現代に生きる我々とは異なる独特な感性がありました。海辺に立つ霧に嘆きのため息を重ねることもそうですし*3、想う相手が夢に出てきた場合に、相手の方が自分のことを想ってくれている、と考えるのもその一例です*4

 確かに言われてみれば、そう考える方が素直ですよね。我々現代人は、こんな初歩的なところから、頭でっかちになってしまっているのかも知れません。

 今回、取り上げた作品は、以前の記事で軽く触れましたが、新たに独立した記事として書き直しました。 

 

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*1:あずまうた。『万葉集』巻十四や『古今和歌集』巻二十に収められた東国の歌。民謡風で方言が多用されている。

*2:『新 日本古典文学大系 萬葉集三』 p326 脚注。

*3:君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ(巻十五3580)

*4:我妹子がいかに思へかぬばたまの一夜も落ちず夢にし見ゆる(巻十五3647)