夕暮れフェルマータ

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内藤丈草の一句鑑賞・その壱

鷹の目の枯野にすわるあらしかな

 内藤丈草は、松尾芭蕉の高弟のひとり。無欲恬淡(むよくてんたん)な人柄に相応しい静謐閑雅な作風ですが、温かなユーモアの滲む佳句も少なくありません。

 上掲の一句は、鷹の鋭い眼光のクローズアップから、一気にズームアウトして枯野の大景を写し出し、座五には切れ字の「かな」を用いて、枯野を吹き渡る疾風に鷹の羽毛がなぶられるさまを端正に描き切っています。

 ところで、『新編 日本古典文学全集72 近世俳句俳文集』を見ると、ここに詠まれた鷹は「鷹狩の鷹」であると注記されています(同書p138)。

 しかし、当句が作られたのは徳川五代将軍綱吉の治世。生類憐みの令に関する法令が次々と発せられ、鷹狩についても段階的に廃止されていった時代です。そう考えると、この句に詠まれた鷹を野生の鷹と見ることも可能かな、と思うのですが…。

 まあ、実際には、きちんとした考証に基づいて「鷹狩の鷹」であると注記されたに違いありませんから、我流の解釈はこの辺で終いに致しましょう。

 鷹狩は古くから支配者階級を中心に享受されてきた娯楽で、『万葉集』にも「放逸せし鷹を思ひ、夢に見て感悦して作る歌」と題された長歌(并せて短歌)を見ることができます。題詞からも推測できるように、大事にしていた鷹狩の鷹を逃がしてしまい、諦め切れずに恋い焦がれていると、「大丈夫、じき戻ってきますよ」と夢のお告げがあった、嬉しいな、という内容です。作者は何とあの大伴家持。機会があったら、このブログでも取り上げてみたいと思います。

 

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