夕暮れフェルマータ

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松尾芭蕉の一句鑑賞 その壱

清滝や波に散り込む青松葉

  松尾芭蕉が亡くなったのは、元禄七年(1694年)十月十二日のこと。旅先の大坂(現在の表記は大阪)で、弟子たちに囲まれながら、懇ろに遺言、形見分けなどの指示をした上で最期を迎えています。

 芭蕉の辞世の句というと、

 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 が人口に膾炙していますが、この作品、実際には辞世の句とは言えません。

旅に病んで…」の句が作られたのは、芭蕉が亡くなる四日前。「病中吟」という前書がつけられており、芭蕉自身にも「辞世」という意識はなかったものと思われます。ただ、芭蕉が生涯の最後に作った作品であることは間違いなく、内容的にも、生涯かけて風雅の道を追い求めてきた彼の、尽きせぬ想いの詰まった秀吟であることも確かです。

 ただ一方で、心静かに臨終を迎える、といった教科書的な心持ちとは大きく隔たっているところから、芭蕉が最期まで俳諧への妄執に捕らわれていたことに「らしくない」という感想を持つ方もおられるようです。

 しかし、芭蕉は上述の通り、自分の死期を悟った後、弟子たちに向け、心の籠った遺言を遺し、遠方にあって臨終に間に合わないであろう懇意の人々へも感謝の気持ちを言い残すなど、大変立派な最期を迎えています。芭蕉にとっては、風雅の道は終わりのない旅であり、道半ばにして倒れる無念は誰も想像できないくらいに大きいものだったということなのでしょう。

 ところで、芭蕉は亡くなる三日前、すなわち「旅に病んで…」の句を詠んだ翌日に、以前作った作品を改作しています。具体的に示すと、

 清滝や波に塵なき夏の月

 の一句を、

 清滝や波に散り込む青松葉

 と改案したのです。

 直接の理由は、その後に詠んだ「しら菊の目に立てゝ見る塵も無し」と紛らわしいから、とのことですが、改作された「清滝や…」の一句には、それ以上の意味が込められているように思えてなりません。

 この句に言う「清滝」は、京都北辺を流れる清流、清滝川のことです。従って、一句の句意は「清滝川の清らかな流れに向かって、青々とした松葉が散り込んでいることよ」となります。

 しかし、この作品を単なる写生句と考えるのは少し無理があります。だって、あの細い松葉が川波に散り込む様子を実際に視認することができるでしょうか。っていうか、芭蕉自身、大坂で病の床にあるわけですし…。

 だとすると、この作品は、死期を間近に控えた芭蕉の心象風景。文字通り「旅に病んで…」と双璧の一句であると考えられます。試みに、この二作品を並べて鑑賞してみましょう。

 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 清滝や波に散り込む青松葉

 どうですか。前者が、蕭条とした冬の大地を幻視しているのに対し、後者の季節は夏(厳密に言うとこの句には季語がありませんが、全体から醸し出される季感は間違いなく夏です)。

 しかも、前者に詠まれた大地とは対象的に、天上乃至浄土とも見紛うばかりの清滝の清流を詠んでいます。そして極めつけが「青松葉」。実は、芭蕉と名乗る以前、「桃青」と号していた時期がありました。

 「桃」の「」に「尾」の「」。しかも「芭蕉」と言えば「」ですよね。全部つないだら「青松葉」。つまり、浄土としての清滝川の清流に散り込んでいるのは、他ならぬ芭蕉自身ということになります。

 まあ、ここまで言うと、こじつけが過ぎますが、少なくとも、この二作品をセットで鑑賞してみよう、というアイデアは、我ながら悪くないと思います。

 こうして、この二作品を並べてみると、芭蕉がそれこそ途方もなく立派な辞世の句を遺したことに気づきます。これまで生きてきた現世への愛惜とこれから赴くことになる天上への清浄な憧れ。その相反する二つの思いをこの二作品に籠めたのです。しかも、季節までちゃんと対照させて。

 計算ではないでしょうね。これらの作品を二点セットにして、芭蕉翁一世一代の傑作と、勝手に認定したいと思います(笑)。

 

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