夕暮れフェルマータ

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与謝蕪村の一句鑑賞 その四

 蕪村の句が優れて絵画的であることは、以前から指摘されていることです。確かにそれは蕪村の詩の特徴をよく掴んでいると思います。但し、蕪村が遺した豊穣な詩情は決してそれだけに止まるものではありません。この点については、彼が遺した実際の作品に即して、具体的にお伝えしていくつもりですが、今回はちょっと方向を変えて、蕪村の「絵画的」な作品について、さらにディープ(?)に考えてみたいと思います。

 まず、蕪村の作品のうち、特に「絵画的」であると思われるものを二、三挙げておきましょう。

 夕だちや草葉をつかむむら雀  ※「むら雀」は、群れた雀の意。

 朝がほや一輪深き淵のいろ   ※「朝がほ」は秋の季語になります。念のため(笑)。

 鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな ※「鳥羽殿」は鳥羽上皇離宮、「野分」は晩秋の疾風を云う。

 上掲の三句が、それぞれ「絵画的」であることに異存のある方はあまりおられないだろうと思います。しかし、その理由は、と考えると必ずしも一様ではありません。

 これら三句のうち、もっとも「写生」的なのは「夕だちや…」の一句でしょう。素早い筆さばきで、ダイナミックな情景を一瞬のうちに捉えた腕の冴えが光ります。

 一方、「朝がほや…」の句は、色彩の切り取り方が素晴らしい。よく、宣伝したい商品だけに色がついていて、それ以外の部分はモノクロになっているポスターやCMがありますが、ちょうどあんな感じです。しかも、色の形容がまた素敵です。朝顔の深い藍色を表すのに「一輪深き淵のいろ」とは。いやはや、参りましたって感じですね。

 更に最後の一句になると、これはもう「絵画的」と言うより「絵画」そのもの。まるで、保元・平治の乱を題材にした『平治物語絵詞』などの物語絵巻から抜け出してきたような作品です。

 蕪村が「絵画的」である、というと、どうしても「夕だちや…」の一句に見られるような写実の妙がクローズアップされがちですが、一口に「絵画的」と言っても、これだけのバリエーションを持っているのですね、蕪村さんは。

 恐るべし、蕪村。いやあ、ホントにこの一言に尽きますね。

 

yuugurefermata.hateblo.jp

 

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