夕暮れフェルマータ

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宮澤賢治『よだかの星』を再読して泣いた理由は?

物語の梗概

 『よだかの星』は宮沢賢治の童話です。

 よだかは、顔容(かおかたち)が醜く、鷹という名がついているくせに、強くも恐ろしくもないため、他の鳥たちに疎まれ、馬鹿にされています。さらに、鷹からは「鷹の名を語るな、改名せよ」と迫られます。

 そんな「苛め」に耐えきれなくなったよだかは、もう地上から離れて星にしてもらおうと、オリオン座、大犬座、大熊座、鷲座の星たちに頼んでまわりますが、全ての星から断られてしまいます。絶望したよだかは、羽ばたくことも忘れて地上に落ちていきました。

 しかし、地に足が着く直前、再び俄(にわ)かに飛び上がり、「どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました」。そして、よだかは「燐の火のような青い美しい光」を放つ星になったのです。

 本書のストーリーを要約して説明すれば、だいたい以上のようになります。

  

初読の感想と混乱

 僕がこの童話を初めて読んだのは、恐らく十歳前後のことだったと思います。但し、当時はこの童話の意味がよく分かりませんでした。いや、分からないわけではないのですが、どの登場人物に自己を投影すれば良いのか、戸惑ったのだと思います。

 同じく賢治の作品でも、例えば『銀河鉄道の夜』だったら、主人公のジョバンニに激しく感情移入しながら物語に没入していくことができます。『セロ弾きのゴーシュ』なら、もちろんゴーシュに…。

 ところが、『よだかの星』の場合、よだかの境遇があまりに悲惨すぎて、感情移入し切れないのです。少なくとも僕はそうでした。かと言って、「これじゃ、あまりにもよだかが可哀想。人(鳥)を見た目で判断しちゃいけないよぉ」などと、上から目線で批判して済ませられるほど能天気でもいられなかった。

 

再読時の理解の深まりと未解決な問題

 でも、今回、再読して分かりました。正直言って、泣きました。よだかは世をはかなんで死のうとした。でも、星たちに頼って、彼らになんとかしてもらおうと思っているうちはまだ甘えていたんです。最後の頼りである星たちにすら悉(ことごと)く拒否され、よだかはようやく本当の孤独と絶望のうちに身を置く覚悟ができたのでした。

 よだかは初めて自分の力で雄々しく飛び立ちます。しかし、彼が向かった先は死の世界でした。甘えを捨て切っても、弟のカワセミ(作品中の表記は「川せみ」)から真心のこもった言葉で引き留められても、彼は自分の気持ちを切り替えることができなかった。

 心理的視野狭窄。これは鬱病を患った方が自殺に至る道筋そのものです。少年時代の僕がよだかに感情移入し切れなかったのは、むしろ当然のことだったかも知れません。

 この物語のラスト近く、よだかが星になる直前の迫真的な描写は、人間の臨終の苦しみと死の安らぎを見事に表現し尽くしています。このシーンを読んで、僕は本当に涙しました。よだかの絶望の深さとその真実の思いに触れた気がしたからです。

 よだかの星は今も燃えつづけている、と賢治は書いています。物語の末尾にこの言葉を三度繰り返した賢治の意図は何だったのでしょうか。今はうまく答えられそうにありません。次回、このテーマを取り上げるまでの宿題にしたいと思います。

 

追記

 確かに少年時代の僕にとって、この作品は分かりにくいものでした。しかし、にもかかわらず、『よだかの星』は僕の心に棲み続け、人生の同伴者であり続けてくれました。もし、少年時代にこの作品を読まなかったら、僕は、生涯の友(あるいは師)と出会う機会のひとつを逃すことになったでしょう。

 子どもの本に必要なのは、決して楽しく分かりやすい物語ばかりではありません。一生の宿題として各自が答えを求め続ける、そんな価値のある「問い」を提示すること、それもまた子どもの本に求められる大切な役割の一つだと信じます。

 

  「よだかの星」は、下記『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫)に収録されています。興味のある方は、是非ご一読ください。

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

 

  

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