夕暮れフェルマータ

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序詞/表現技法別に見る和歌・その壱

序詞の魅力が炸裂する万葉秀歌

 以前、『万葉集』について書くのは難しい、という主旨の記事をアップしました。その理由の一つは、それぞれの歌が作られた状況や採録された経緯がはっきりしないこと。作者が明記されている作品であっても、本当にその人物の作なのかということになると、疑義を生じるケースも少なくないのです。

  しかし、それにしても魅力的な作品が多いのは周知の事実。そこで、今回はちょっと切り口を変え、共通する表現技法を用いた作品を集めて、ご紹介することにしました。

 その技法とは、序詞*1。序詞は、ある語(その歌の主題に深く関わる場合が多い)を導き出すために置かれる語句で、通常二句乃至三句ほどの長さになります。ちなみに序詞によく似た機能を持つ表現技法に枕詞がありますが、こちらの方はほとんどが五音で、掛かる語も慣用的に決まっています。

 序詞は、その歌の生まれた風土や背景を強く示唆する内容を持つことが多く、古代人の生活について知るための資料としても貴重なのですが、用いられた作品に具象的なイメージを加味して、当該作品の世界観に奥行きを与えるなど、詩歌の表現技法としても重要な役割を担っています。

 それでは、前置きはこのくらいにして、作品を見ていきましょう。なお、太字にした部分が序詞に当たります。

 秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ   

                            磐姫皇后 (巻二 88

 わが宿の夕陰草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも

                            笠女郎  (巻四 594) 

 多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき    (巻十四 3373

 前二首は、具象的な比喩により、恋心にリアリティーを持たせることに成功していますが、まあ、それにしても美しい序詞ですね。用いられた比喩があまりにも適切なので、鑑賞する側はほとんど実景としてイメージしてしまいます。

 一方、三首目は、前二首とは少し趣が異なり、同語反復の序詞を用いています。しかし、ここでも、序詞が提示するイメージは飽くまで具体的。白い素足を濡らしつつ布をさらす娘の姿を遠目に見遣る男の恋情が、千三百年の時を越えて切々と伝わってくる、東歌の秀歌です*2

 

序詞の自然描写と深い精神性が融合した名歌

 序詞という表現技法は『万葉集』の時代がピークで、以後は縁語や掛詞などに主役の座を譲ったようにも見えます。しかし、序詞が持つ和歌の表現技法としての有効性は、江戸時代になっても失われることはなかったようです。

 最後に、江戸時代末期に、優れた書や漢詩、和歌を多く遺した良寛の絶唱をご紹介して、擱筆することに致しましょう。序詞に表された静謐な自然描写と作品の主題たる深い精神性が一如となった名作です。

 山かげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも    良寛

 

yuugurefermata.hateblo.jp

 

 

*1:「じょし」。但し、「助詞」との混乱を避けるため、「じょことば」と読ませることも多い。

*2:この歌に限らず、個人的な恋愛の一場面を歌っているように見える東歌の多くが、民謡的な労働歌であったとの推測はほとんど定説化しています。但し、当時の人々もまた労働の場でそれらの歌を歌いながら、そこに描き出された恋の幻想を楽しんでいたこともまた事実でありましょう。