夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

与謝蕪村の豊穣なる詩的世界

松尾芭蕉与謝蕪村

 江戸時代の俳人といえば、何と言っても松尾芭蕉が有名です。有名なだけでなく、それまで言葉遊びや滑稽を旨としていた俳諧連歌及び発句(=今でいう俳句)を、第一級の地位にまで押し上げた最大の功労者であり、まさに「俳聖」の名にふさわしい人であると言うことができます。

 江戸時代を通して、「芭蕉に帰れ」と言うスローガンは繰り返し叫ばれたようですが、中でも、生涯を通してその信念を貫いた俳人のひとりが与謝蕪村です。

 蕪村は芭蕉を大変尊敬しており、芭蕉の作品に倣って作られた句も少なくありません。二組ほど例を挙げておきます。

 この道や行く人なしに秋の暮 (芭蕉

 門を出れば我も行く人秋の暮 (蕪村)

 菊の香や奈良には古き仏たち (芭蕉

 秋の燈やゆかしき奈良の道具市(蕪村)

 

正岡子規与謝蕪村

 蕪村は、明治時代に短詩型文学の革新を訴えた正岡子規が大いに持ち上げたところから、一時は芭蕉以上に評価されたりしたこともあったようですが、芭蕉に対する敬慕の念を抱き続けた蕪村からしたら、迷惑千万なことだったかも知れませんね。

 正岡子規が持ち上げた蕪村の作風は「写生」ということでした。見たものをそのまま写し取る、という意味で、絵画でいうところの写生と近似のものとして、蕪村の句を捉えたわけです。

 「写生」精神は、現代の俳句まで脈々と伝わっており、恐らく、ほとんどの俳人が、肯定的にせよ、批判的にせよ、この根本精神に何らかの影響を受けながら作句しているものと思われます。

 確かに、蕪村の作品には、写生のセンスが光る秀句が少なくありません。例えば、

 夕風や水青鷺の脛(はぎ)を打つ

 夕立や草葉をつかむ群雀(むらすずめ)

 などは、画家でもあった彼の面目躍如たる「写生」の佳句と言えそうです。

 

与謝蕪村のポエジー

 しかし、蕪村の作品世界は決してこれにとどまるものではありません。

 狩衣の袖の裏這ふ蛍かな

 に見られる王朝趣味、

 愁ひつつ丘に登れば花茨

 に込められた若々しいリリシズム、

 さらには、

 遅き日のつもりて遠き昔かな

 を代表とする、抽象的でありながら、強く郷愁に訴えかける作品など、その作風は実に多岐に渡るのです。但し、蕪村がさまざまな作風を巧みに使い分けた、と考えると、真実から遠ざかる気がします。むしろ、蕪村の心にある美意識は一つであり、一見多彩に見える作品群も、元をたどれば唯一の美意識に集約されるのではないかと思うわけです。その美意識の本質を、詩人らしい優れた感受性で言い当てたのが、詩集『月に吠える』や『青猫』などで知られる詩人、萩原朔太郎、ということになるでしょう。

 

萩原朔太郎与謝蕪村

 朔太郎が書いた与謝蕪村に関する評論があるのですが、そのタイトルが『郷愁の詩人 与謝蕪村』。僕は、蕪村の詩魂の本質を「郷愁の詩人」と喝破した朔太郎の詩的直観に瞠目します。彼のこの本を読んでから、さらに蕪村が好きになりました。本書は岩波文庫の一冊として現在も版を重ねており、書店でも図書館でも簡単に手に取ることができます。興味のある方には、是非ご一読をお勧めします。

郷愁の詩人 与謝蕪村 (岩波文庫)

郷愁の詩人 与謝蕪村 (岩波文庫)

 

 

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