夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

君は高野文子の漫画を読んだことがあるか

高野文子さんは天才、だと思う。

 高野文子さんの漫画は、どれもこれも素晴らしく、まさに「珠玉」という言葉がぴったりなのですが、中でも僕が大好きなのが「玄関」*1という作品です。ただし、設定などの説明はしません。これからこの作品を初読する方にとっては犯罪に近い行為ですから。とは言っても、この作品は決してネタバレしたら読む価値がなくなるようなものではありません。むしろ、再読するたびに深い味わいを感じることができます。でも、だからこそ、初読の感動を大切にしていただきたいのです。

  1コマごとの描写も、流れるようなコマ割りも、開いたページ全体の統一感も、全て完璧。日本家屋のほの暗い気配と主人公の少女のどこか欧風の雰囲気の対比もうまいですし、後半、白昼夢のような炎暑の中をゆく母娘の姿をじっくりと描き出す力量は、ほとんど神の領域です。

 また、前半と後半を繋ぐ学校での面談のシーンも素敵です。初読の頃は明確に意識していなかったのですが、どこか遠くから聞こえてくるような教師の声やおぼろげなシルエットは、主人公の少女の眼差しをそのまま写したものなのでしょう。恐るべし、高野文子

 さて、一見すると「玄関」とは全く異なる設定でありながら、僕の中ではどこかでつながっているもう一つの佳品が「美しき町」*2です。この2作品は、初出の時期も6年ほどの間があります*3

 

「玄関」と「美しき町」の共通項は…

 「玄関」が小学生の女の子を主人公にしているのに対し、「美しき町」の方は町工場に勤める若夫婦のさり気ない日常を描いています。共通して言えるのは、どちらも現実の辛さがしっかりと織り込まれているところです。しかし、彼らは、その辛さによって押し潰されたりはしません。じっと耐えて、その中から人生の滋味を汲み取ろうとしています、それは大人である「美しき町」の若夫婦ばかりでなく、「玄関」における主人公の少女にも見られる特徴です。ただし、「玄関」においては、主人公の母が主人公を優しく支えてくれています。その辺りの設定も本当にうまいですね。

 僕は先ほど「玄関」と「美しき町」がどこかでつながっているように思う、と書きました。それを具体的に言うとこんな感じです。「美しき町」の若夫婦に子どもができ、社宅から小さな借家に引っ越してきて生まれたエピソードが「玄関」だ、と。

 もちろん、実際には直接の関係はないでしょう。しかし、僕には「美しき町」の若妻の十年後の姿が、「玄関」の母のように見えて仕方がないのです。

 こんな読みを許してくれるのも、高野文子の確かな技術と人間理解に裏打ちされた懐の深さの賜物でしょう。まだお読みになっていない方は、ぜひ手に取ってみてください。静謐で美しい物語の数々に魅入られること間違いなしです。

 

絶対安全剃刀―高野文子作品集

絶対安全剃刀―高野文子作品集

 

 

棒がいっぽん (Mag comics)

棒がいっぽん (Mag comics)

 

 

 

*1:『絶対安全剃刀』白泉社 所収

*2:『棒がいっぽん』マガジンハウス 所収

*3:「玄関」は1981年、「美しき町」は1987年に発表されています。