夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

与謝蕪村

「門を出て故人に逢ひぬ…」 与謝蕪村の俳句鑑賞

作品の取捨のこと これは別に蕪村に限ったことではありませんが、同じ題材、同じ主題で、同時に複数の作品が生まれる場合があります。もちろん、表現が異なるのですから、切り取り方やウェイトの置き方に何らかの違いはあるのですが、作った当初はなかなか客…

与謝蕪村・内藤丈草に共通する魅力、そして作品

俳諧(特に、発句=今でいう俳句)のことを書こうとすると、まず与謝蕪村、それから、芭蕉の弟子の内藤丈草などを取り上げたくなるのは、明らかに僕の個人的な好みが影響しています。 蕪村のこと 蕪村については、俳諧と同時に絵師として活躍し、同時代を生…

藤原定家・西行・与謝蕪村         和歌・俳諧における「無」の美について考える

我が国に伝統的な美感 和歌に限らず、言語芸術においては、実際にそこにないものを「ない」と表現することで文芸上の効果を狙うことがあります。 これは、ファンタジーのような空想の産物を描く、という意味ではありません。なぜなら、当該作品の設定として…

与謝蕪村の三句鑑賞 / 小さきものへの愛

小貝・白露・茨の棘・かかり舟 与謝蕪村の作品は絵画的である、とよく言われます。もちろん、それに間違いはないのですが、彼の対象を見つめる眼差しには、どこか寂しさを分け合うような温もりを感じます。一見、純粋な写生の句に見えながら、控えめに優しい…

与謝蕪村の一句鑑賞 その七

小鳥来る音嬉しさよ板びさし 作者は屋内に居て、ふと軒先から聞こえる微かな物音に気付きます。耳を澄ますと、時折、可憐な鳴き声も聞こえてきます。板びさしの上を小鳥が歩き回っているのです。「ああ、もう小鳥がやってくる季節になったか」と、嬉しい気持…

与謝蕪村の一句鑑賞 その六

我(わが)帰る路いく筋ぞ春の艸(くさ) 上掲の一句は、当時、自身の性格的な問題もあって大坂(現在の大阪)を追われ、兵庫に流寓していた弟子の大魯を訪ねた際に開かれた句会で生まれたもの。たまたま引き当てた「春草」という題による即興です。 この句…

与謝蕪村の一句鑑賞 その五

雪の暮鴫はもどつて居るやうな 作者の宿る庵からほど近い沼沢地。折しも降り積もった雪にいや増す静寂の奥から、幽かに鳥の羽搏つ音が聞こえてきます。昼の間どこかに飛び去っていた鴫(しぎ)が塒(ねぐら)である水辺に帰ってきたらしい。 耳を澄ませ、心…

与謝蕪村の一句鑑賞 その四

蕪村の句が優れて絵画的であることは、以前から指摘されていることです。確かにそれは蕪村の詩の特徴をよく掴んでいると思います。但し、蕪村が遺した豊穣な詩情は決してそれだけに止まるものではありません。この点については、彼が遺した実際の作品に即し…

与謝蕪村の一句鑑賞 その参

夏山や京尽くし飛(とぶ)鷺ひとつ 蕪村は同工異曲を恐れない。芭蕉が、自身の作品である「白菊の目に立てて見る塵もなし」との表現上の重複を嫌って、死の三日前に「清瀧や波に塵なき夏の月」の句を「清瀧や波に散りこむ青松葉」と改作したのとは大きな違い…

与謝蕪村の一句鑑賞 その弐

ほとゝぎす平安城を筋違(すぢかひ)に 時鳥(ほととぎす)は、『万葉集』の時代から繰り返し古歌に詠まれてきました。 その雅なイメージと「平安城(=平安京)」がよく響きあって、俯瞰された京の町並にうっすらと紗をかけたような効果を上げています。 『…

与謝蕪村の一句鑑賞 その壱

若竹や夕日の嵯峨となりにけり 京都の嵯峨(嵯峨野)と言えば、竹の名所として知られていますが、蕪村の生きた時代にも、美しい竹林があちこちに見られたのでしょう。ちなみに、当地は、古来、皇族・貴族に愛されてきた風光明媚な土地柄で、藤原定家が小倉百…

与謝蕪村の豊穣なる詩的世界

松尾芭蕉と与謝蕪村 江戸時代の俳人といえば、何と言っても松尾芭蕉が有名です。有名なだけでなく、それまで言葉遊びや滑稽を旨としていた俳諧連歌及び発句(=今でいう俳句)を、第一級の地位にまで押し上げた最大の功労者であり、まさに「俳聖」の名にふさ…