夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

青山を横切る雲のいちしろく 『万葉集』一首鑑賞

前説:『万葉集』は序詞競演の場

 序詞(じょし / じょことば)については、当ブログの過去記事でも取り上げていますので、詳細はそちらに譲りますが、ごく簡単に申しますと、和歌の中の特定の言葉(その歌の主題に関係する大切な言葉であることが多い)を導き出すための比喩的な表現ということになります。

 よく枕詞と並列的に紹介されることが多い技法ですが、枕詞がかなりに固定化・定式化されている反面、その語意については多く謎に包まれているのに比べ、序詞の方は、多彩な表現、あるいは詩的・民俗的な魅力に溢れているのが特徴です。

 

本題:夏にぴったりの恋歌発見!

 実は、今朝ほど、何気なく『万葉集』を読み返していたのですが、そこで、序詞の魅力が炸裂した、夏にぴったりの秀歌を見つけたので紹介しようと思います。

 まあ、ご存知の方も多いと思いますので、お宝的な驚きには欠けるかも知れませんが、とにかくいい歌です。

 青山を横切る雲のいちしろく我と笑まして人に知らゆな    (巻四 688)

 歌意は「青々と木々の茂った山の中腹を横切る雲は著しく目立つものですが、そのように不用意に私に笑いかけて、他の人たちに気づかれないようにしてくださいね」。

 作者は、大伴家持の叔母で、女性としては『万葉集』最多の入集歌数を誇る大伴坂上娘(おおとものさかのうえのいらつめ)です。

 彼女は、名門大伴氏の家刀自として実に頼り甲斐のある女性でしたが、歌人としても一流でした。大伴家持が若くして和歌の才能を開花させたのも、彼女の指導あってのことと思われます。

 彼女はまた、少なからぬ恋歌を遺していて、それぞれに独自の魅力を放っていますが、この歌もまた、その例に漏れません。

 青山と白雲による、これ以上の簡潔さはないであろう清涼感溢れる自然描写を序詞に、古今東西変わらぬ恋の綾を見事に表現しています。

 この歌を受け取る資格のある男は、その容姿はもちろん、心根までも「青山を横切る雲」のように爽やかな人物であったと想像するしかありません。

 これこそ、恋愛歌の極致ですね。「この歌を捧げられた男は、この歌に相応しい魅力溢れる男に違いない」と思わせるんですから。

 本当は、初夏の頃にご紹介できたら良かったのですが、立秋(今年は8月7日とのこと)直前ギリギリセーフということで、ご寛恕下さい。

 

 それでは、今日はこの辺で擱筆致します。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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小林一茶を芭蕉・蕪村と比較してみた

芭蕉・蕪村・一茶の俳諧に対する姿勢の特徴

 前々回に引き続き、小林一茶について考えます。

 小林一茶は生涯に二万句以上の発句を遺しました。俳聖松尾芭蕉は約千句、与謝蕪村は約三千句と言われています。

 後付けの感は否めませんが、以下のように考えると妙に納得できませんか。

⒈ 芭蕉は風雅の道を追求し、常に最高水準の作品の完成を目指して推敲を重ねた。

⒉ 蕪村も風雅の道を求めたが、フィクションの世界とも融通無碍に行き来した。

⒊ 一茶は現実の生活における喜怒哀楽や自然の姿をそのまま率直に詠み続けた。

 この把握の仕方が乱暴に過ぎることは十分に承知しているつもりですが、芭蕉・蕪村・一茶の俳諧に対するこうした姿勢の違いが、結果として、遺された作品の数の差に現れているような気がします。

 

芭蕉の風雅 孤高の世界

 芭蕉は、現実の生活をそのまま詠むことはしませんでした。それはある意味で当然です。彼は風雅のために世間一般の「生活」を捨てたのですから。彼が詠もうとしたのは、風雅というフィルターを通してみた世界です。それは確かに素晴らしい世界でした。

 しかし、それほどの深い詩的真実が、そう簡単に手に入るとは思えません。だから、千句。但し、その内容は文句なく一級品なので、表現にも十分な配慮を要します。だから、推敲。こういうことなのではないでしょうか。

 

蕪村の風雅 自在なペルソナ

 蕪村も風雅に賭ける情熱では芭蕉に引けを取りませんが、彼は物語(フィクション)の主人公になることができました。王朝の貴族であったり、薮入りで実家に帰る少女であったり、自分ではない旅人であったり…。だから、作品数を三千句まで増やすことができました。

 

一茶の俗世 現実(リアル)な世界

 一茶はどうでしょう。彼だけが、等身大の自分を表現し続けました。視線を周囲の自然に向ける際にも、そのものズバリを見ています。その代わり、個々の事物の奥に秘められた普遍的な「真理」に興味を持つことはほとんどありませんでした。

 そのことは、次の二作品を比較すると、そのことがよく分かります。

 閑かさや岩にしみ入る蝉の声    芭蕉

 しづかさや湖水の底の雲の峰    一茶

 句の相貌は似ていますが、そこに湛えられている詩情は全く異なります。

 芭蕉の句は「(蝉の)声が岩にしみ入」るという、現実にはあり得ない表現によって、存在そのものの本質に迫ろうとしています。

 一方、一茶の句には、現実の世界(自然)を透徹した目で見切った清々しさがあります。

 この二句に優劣をつけるのは、ちょっと一茶に酷ですね。なんといっても、芭蕉の一句は、名吟中の名吟です。但し、この句はある漢詩の一節を下敷きにしています*1。だからと言って、この作品の価値が減ずることはありませんが、「蝉の声と林中の静けさ」という把握の仕方を芭蕉ひとりの手柄にするわけにも行きません。

 一茶の句は、一見不思議な表現ですが、実は見たままを詠んでいます。ただ、じっと対象を見つめ続けた結果生じた一種の錯覚が、この作品に「詩」をもたらしました。

 この句、僕は好きですね。芭蕉の作品とはまた別の意味で、 永遠性を感じます。難しいことは何もないのですが、この世界に「湖水」と「雲の峰」があるかぎり、不滅の風景だと思います。

 もちろん、一茶の発句は多様で、もしかしたら、雑多、あるいは玉石混合と言った方が良いくらいなのですが、視点を変えて改めて探してみれば、新たな秀句を発見できる可能性はまだまだあるのかも知れませんね。

 

 なかなか一茶の作品紹介にたどり着きませんが、今日はこの辺で。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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*1: 

王籍『入若邪溪』  王籍

艅艎何泛泛,空水共悠悠。
陰霞生遠岫,陽景逐回流。
蝉噪林逾静,烏鳴山更幽。
此地動歸念,長年悲倦游。

に、「蝉さわいで林いよいよ静かに」とある。

市街地に出没する野生動物たちについて考えた

 野生動物出没のニュースとクマの話

 最近、野生動物が市街地に現れたというニュースをよく聞きます。統計的なことは調べていませんが、本州に生息するツキノワグマにしても、北海道に棲むエゾヒグマにしても、山菜採りなどで山に入った人が遭遇するケースに加えて、クマの方が民家に近づいてきたように見えるケースが増えています。

 クマだけではありません。イノシシやシカ、また、これは地域性があるようですが、野犬の徘徊も改めて問題になっているようです。

 このブログでも何度か記事に書いたように、僕はバードウォッチングのみならず、アニマルウォッチングにも興味を持っています。だから、以前は、クマ(さすがにヒグマは怖いので、ツキノワグマですが)に会いたいなあ、と本気で思っていました。

 実際は、クマが木の幹につけた爪痕とか、新雪の上につけられた足跡しか見たことがなく、唯一、あれはクマだったんじゃないかなあ、と思うのは、夜、岐阜県滋賀県の県境にある国見峠を越える林道をアニマルウォッチングのために走っていた時、不意に前方に現れた一抱えほどの黒い塊が、やや鈍重そうに茂みの中に消えていったのを見た時だけです。タヌキやアナグマよりはずっと大きく、かといって、成獣のクマよりは明らかに小さかったので、もしかしたら子グマだったかも知れません。

 でも、これだけクマに襲われる事故が増え、場合によっては命を失う方もおられるような状況では、もはや、そんなことを軽々しく口にすることはできなくなりました。

 

夜の山、昼の里で会った野犬の話

 野犬についても同じです。以前、車でとある林道の車止めまで入り、そこから夜の林道を歩いたことがありました(岐阜県に移住してからのことです)。

 月が明るい夜でしたが、植林帯に入り、辺りが暗闇に閉ざされたところで、ふと、犬が低く唸るような声が聞こえたのです。最初は耳の錯覚かと思いました。ところが、今度は小さく抑えたような声音で吠えたのです。

 さすがにオオカミだとは思いませんでしたが、オオカミの生態や人間との関わりに関する本を読んでいたこともあり、野生化した犬が祖先を同じくするオオカミに似た生態を有するであろうことは何となく想像できました。

 気配は一頭だけでしたが、群れがいる可能性も否定できません。集団で襲われたらシャレになりません。僕は手頃な石ころをポケットに詰めこみ、木刀代わりの木の枝を握り締めて、敢えてゆっくりその場を通り過ぎました。怖気づいた様子を見せると却ってよくないと思ったからです。

 結局、その後は何事もなく、無事、車に辿り着くことができましたが、後に、僕の推測が間違っていなかったことが間接的ながら証明されました。

 ある冬。この地方でも何年かに一度、という大雪が降った日のことです。ちょっと雪見に出かけようと車を出しました。

 西に向かうとどんどん積雪が増えていきます。すると、民家もまばらになった辺りで、突然、山の中から十数頭の種々雑多な犬が飛び出し、雪原を走り始めたのです。

 遠景ですし、こちらは車の中ですから、前の時のような恐怖心はありませんでした。ただ、普段は文字通り山でオオカミのように生活していた彼らが、大雪のために食料に困って里に下りてきたのであろうことは想像がつきました。

 野犬の管理については、公的にも継続して取り組まれていることから、少なくとも僕が暮らす地域では、普段、全く見ることはありません。しかし、彼らは根絶されたのではなく、人間と関わりのない場所で生きていたのです。

 

僕が暮らす地域の日常的風景  & これからのこと

 イノシシやシカについて言えば、僕が暮らすこの地域でも、夕闇が濃くなると、まずイノシシが、少し遅れてシカが、毎日のように里に下りてきます。でも、ニュースに取り上げられるようなことはありません。

 なぜなら、彼らが下りてくるのは、民家と里山の間にある畑地や果樹園などだからです。

 もちろん、作物への被害を食い止めるために電気柵を設ける等の苦心はあり、それはそれで大変な負担だと思います。でも、逆に言えば、人間の生活圏と野生動物の生活圏の間に、そうした緩衝地帯が設けられていることによって、不意の衝突やその結果としての不測の事態を避けられてもいるわけです。

 最近の野生動物出没の事例の中には、もしかしたら、この緩衝地帯の喪失が原因であるケースもあるのではないか。野生動物の側からすると、いきなり異次元の世界に放り込まれて、パニックになってしまうということもないとは言えません。

 だからと言って、ここで無責任な解決案を述べるつもりはありませんし、そういう立場でもない訳ですが、こんなに狭い日本列島だからこそ、そこに住む人間として、野生動物との新しい関わり方を模索する時期が来ているのかな、という気はしています。

  

 それでは今日はこの辺で。

 最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

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小林一茶の人生とその魅力について考える

小林一茶が気になります!

 最近、小林一茶のことを考えています。

 僕は以前から与謝蕪村が好きで、正直なところ、松尾芭蕉に関してはどうしても「勉強」している感が否めません。それでも、ここ数年で、芭蕉の凄みが何となく理解できるようにはなりました。

 僕が芭蕉の発句の中でも最も素晴らしいと思うのは、「荒海や佐渡に横たふ天の河」です。

 この句は、古来、佐渡が流人の島とされてきた歴史を踏まえ、悠久の自然の極とも言える宇宙と、限りある人間の生を対比させています。しかも、それでいながら冷たく突き放すのではなく、どこか大宇宙の太母に抱かれるような感覚をもたらしてくれます。手塚治虫さんの『火の鳥』に近い感じでしょうか。

 同じ境地で詠んだ「夏草や兵どもが夢のあと」の方は、情景・愛惜する対象ともにより詳細に提示した分、一句が湛える世界観は若干小ぶりになった気がします。もちろん、名句とは思いますが。

 さて、一茶です。これまで僕はあまり一茶の句を読んだことがありませんでした。もちろん、人口に膾炙した作品についてはだいたい知っているつもりです。もしかしたら、若い頃には芭蕉の句よりたくさん暗記していたかも知れません。一茶の句はそれほど親しみやすく、理解しやすいのです。

 雀の子そこ退けそこ退けお馬が通る

 痩せ蛙負けるな一茶これにあり

 我と来て遊べや親のない雀

 めでたさも中ぐらゐなりおらが春

 大根ひき大根で道をおしへけり 

 など、挙げれば切りがありません。しかも、芭蕉や蕪村の作品と違って、特に和漢の古典に精通していなくても、理解できるものばかりです。

 

一茶の生涯、早送り

 小林一茶は、芭蕉に遅れること約120年後、西暦1763年に北信濃の柏原という山間の村の農家に生まれました。ただ、当地は山村というほどの山中にあるわけではなく、また、一茶の家は農家としては比較的豊かな暮らしができていたようです。

 継母との関係が悪かったこともあり、一茶は15歳で江戸に奉公に出ます。あるいは、奉公に出された、と言った方が正確でしょうか。このニュアンスの違いはけっこう大きいと思うのですが、僕はまだ、その時の少年一茶の気持ちをしっかりイメージできません。

 ただ、この実家における「悪い」人間関係が、彼の人生を金縛りのように規定していったことは何となく想像することができます。

 江戸で俳諧の勉強を始め、時には乞食(こつじき)に近い境遇に身を落としながらも、何とか俳諧師として立っていけるようになった一茶ですが、彼が39歳の時に、実家の父が亡くなると、継母及び彼女の実子である腹違いの弟との間に遺産問題が生じ、その争いに10年以上の時間を費やすこととなりました。

 それでも、一茶は結局、故郷に帰ります。旅先で病に倒れ、そのまま亡くなった芭蕉、また故郷の場所すら曖昧にしたまま京都で亡くなった蕪村とは、対照的な生き方です。

 

芭蕉、蕪村、一茶、それぞれの立ち位置

 敢えて、キャッチコピー風に言えば、芭蕉は旅の詩人、蕪村は隠棲の詩人、一茶は生活の詩人と言えましょうか、ただ、一茶という人を「詩人」だったと言うこと自体、しっくりこないところもあります(これは決して批判的に言っているわけではありません)。

 芭蕉俳諧即ち風雅のために、世を捨て、その道一筋に打ち込みました。蕪村もまた、彼の個性の中で、芭蕉を心の師と仰いで後に続きました。そういう意味で、この二人は「詩」に人生を捧げた、と言っていいように思います。

 しかし、一茶はそういう生き方は選びませんでした。というより、彼には捨てるべき「世」を持っていなかった。いや、持ってはいたけれど、十五の歳に江戸に奉公に出た(出された)時、すでに、ある意味で芭蕉よりも早く手放さざるを得なかったのです。

 持っているものを自らの意思で捨て去ることと、運命その他によって心ならずももぎ取られるのとでは全く意味が違います。

 

小林一茶の本領

 一茶の偉いのは、何もかも失った地点から自分で道を見つけて歩き続けたところにあります。ただ、その道の向かう先はどうしても、奪われたものを取り返すための道のりになりがちだったかも知れません。

 芭蕉や蕪村は風雅に命をかけました。しかし、一茶は風雅のために生活を犠牲にしたわけではありません。犠牲にすべき生活を持つことすら困難だったからです。

 では、彼は何のために命をかけたのでしょう。言葉の遊びのようですが、僕はこう思います。一茶は生活のために命をかけたのだ、と。

 最近、小林一茶のことをよく考えます。そして、何よりもまず生活者だった一茶を念頭に置いて彼の発句を読むと、今までただ読み流していた作品の数々が、(おかしな喩えのようですが)キッチンに置いてあるさまざまな調理道具のように、くっきりとした輪郭を持って感じられるようになったのです。

 彼の具体的な作品の数々については、また機会を設けてご紹介したいと思います。

 

 今日はこの辺で擱筆致します。最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

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テンカラ釣り初心の記「あの夏は暑かった!」

アウトドアの夏、テンカラの夏

 このところアウトドア系の記事の投稿が続いていますが、子どもたちが夏休みということもあり、世間一般アウトドアシーズンだと思うので、良しとしましょう。

 さて、僕は、渓流釣り、しかも和式の毛鉤釣りであるテンカラ釣りしかやらない、というか、できないポンコツ釣師ですが、そんな僕でも、正真正銘初心者だった頃はあって、当時の入れ込みようは半端じゃありませんでした。竿の振りすぎで肩を痛めたり、慢性的に薄くなった手のひらが痒くてたまらなくなったり、と、まあ、いろいろありました。

 そこで、今日は僕がテンカラ釣りに目覚めたあの夏の思い出を書いてみたいと思います。もしかしたら、今シーズンからテンカラ釣りを始めた、という方もおられるかと思います。順調に釣果を得ておられるなら、上から目線で楽しんでいただけば良いですし、もし、期待した釣果が得られていない場合には、下には下がいるんだなあ、と元気になっていただければ、これに勝る喜びはありません。

 

雑誌「渓流」は神様でした

 僕がテンカラ釣りを知ったのは、当時、つり人社から発行されていた「渓流」という雑誌を通してでした。

 当時の僕は、独学で沢登りを始めて数年、実際に行ける谷は、遡行の難易度としては初級かせいぜい中級の下くらいだったものの、大渓流への憧れは強く、「渓流」に掲載された黒部川や東北地方の諸渓流に関する遡行記録に胸を踊らせていたのです。

 当時は、瀬畑雄三さん、吉川栄一さん、高桑信一さんなど、沢登り界のスターが目白押しの黄金時代。中でも、瀬畑さんはテンカラ釣りの名手として知られていました。また、フライフィッシングの第一人者である岩井渓一郎さんや佐藤成史さんなども折々に寄稿されていて、知識だけはじわじわと増えていったのです。

 

 

いよいよ、テンカラに手を染める

 そして、ある年の初夏。僕はついにテンカラ釣りのタックル一式を買い揃えました。元々、沢登り用のシューズは持っていましたし、源流を歩く、ということに関しては、さほどのストレスはありませんでしたが、最初のうちは本当にラインが飛びませんでした。

 公園で前方にバケツを置いて振り込みの練習をするのですが、なかなか狙い通りにいきません。当時は市販のテーパーライン(先に行くに従って徐々に細くなるよう糸を編んだライン。昔はこれが主流だった)を使っていたので、今から思えば易しいはずなのですが、まあセンスもなかったんでしょうね。実際には、勘のいい人なら、30分も振っていれば、コツを掴めると思います。今だから、言えますけど。

 それでも、なんとか毛鉤を投げられるようになったので、渓流釣りではよく知られた道志川に行ってみました。釣れません。フラットな流れが続き、ポイントすら分からない。3時間ほどで神経をすり減らし、すごすご退却です。

 

悲しみの釣り堀体験

 その後、近所のフライフィッシング専用の釣り堀で練習してみることにしました。テンカラ竿でもいいですか、と管理人のダンディなおじさんに尋ねると、僕の持参した仕掛けを確認してから、黙って頷いてくれました。

 今から思うと、奇妙な光景だったと思います。皆さん、スタイリッシュないでたちでカラフルなラインを自在に操っている中、へらへらとリールも何もないテンカラ竿をひたすら水面に向かって振り続ける男。しかも、釣り堀なのに、結局1尾も上げることなく敗退。いやあ、キツかったなあ。カップルで来てたふたりとか、笑ってたなあ。当然だよなあ。むしろ、あの場にいた皆さんは、例のカップルのおふたりも含め、場違いな男に対して紳士的だったと思います。

 

釣れない夏、まずは1匹

 それでも諦めずに、今度は奥多摩の日原川に行ってみました。でも、やっぱり釣れない。反応すらない。いつしか雨が振ってきて、さすがに気持ちが折れそうになりました。それでも、対岸の小さな窪みに毛鉤を落とすと、ピチャッと反応があり、反射的に竿を上げると、10cmにも満たない小ヤマメが飛んできました。まあ、嬉しかったですね。あの日、あの小ヤマメが釣れなかったら、もうやーめた、になっていた可能性すらありましたから。

 その後、発想の転換をして、沢登りに通っていた渓を釣り場にすることにしました。あまり険しいところは無理なので、ひとまず多摩川の支流である秋川上流の各沢で竿を出してみました。

 やっぱり釣れないのですが、反応だけはポツポツ見られるようになりました。そんなこんなで、最初のシーズンは終了。結局、その夏に釣れたヤマメは8尾のみ。しかも、最大で16cmという悲惨な結果に終わったのです。

 それでも、当時は少しずつ上達している気になっていたから不思議です。何事も気持ちが大事ってことですか。

 

オフシーズンの努力が来シーズンの明暗を分ける

 オフシーズンは秋川の中流に通い詰めで、オイカワとかハヤを釣りまくりました。まれに小ヤマメが釣れてきたりして…。

 そういえば一度だけ、尺近いニジマスが釣れたこともありました。その時は流れの真ん中に入り、ラインを張った状態で扇型に流していたのですが、いきなりすごい引きで、思わず膝をついてしまったほどでした。とにかく、こちらはオイカワやハヤを狙っているので、まさか放流魚とはいえ、ニジマスのような外道が釣れるなんて想定外でしたから(笑)

 まあ、でも、大型の魚の引きが半端じゃないことを経験できたのは良かったですね。それでも、結局、大物が掛かると、何度やっても焦ってしまってバラしてしまうことが多かったですけど…。

 というわけで、最初のオフシーズンの努力は、我ながら涙もんでした。お陰様で、翌シーズンはトータルで200尾近い釣果を上げることができました。もっとも、リリースサイズのチビヤマメも数に入れての計算ですが… (^_^;)

 

あなたはロードバイク派、ママチャリ派? 僕はママチャリ派

 テンカラ釣りも、本当に基本的なレベルのことなら、自転車と同じで、多少の遅速はあるにしても、誰でも一度身につけた技術はずっと忘れないと思います。

 問題はその後ですね。自転車の喩えで言えば、プロになるならないは別として、更に自分の技術に磨きをかけ、道具も揃え、仲間たちと切磋琢磨して行くか、ずっとママチャリで気楽に行くか、です。

 僕は明らかに後者ですが、その分、渓に入った時、魚釣り以外のさまざまな自然に目を向けるようにはなりました。このブログでも書いている、バードウォッチングや昆虫への興味もその1つです。

 まあ、こういうことはあらかじめ決めてしまう必要はなく、自然に足が向く方へ進んでいけば、それが文字通り自分に向いたスタイルなんだと思います。

 

 またまた、ずいぶんな長文になってしまいました。今日はこの辺で。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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沢登りでの「しくじり」を経験者が語ります Part2

 前回、同様のタイトルで、沢登り中に起きた「死ぬかと思った」エピソードについてご紹介しましたが、今回はその続編です。

 このところ、アウトドアにおける事故がニュースに取り上げられることが増えたように思います。

 これは事故そのものが増えたのか、ニュースとして取り上げられるケースが増えたのか、あるいは受け手である僕自身の主観なのか、統計的なことまでは分かりませんが、いずれにしても、素晴らしい自然に触れようと出かけた先で事故に遭うというのは、大変痛ましいことだと思います。

 具体的な失敗談をここでお伝えすることで、ほんのわずかでも、事故のリスクを低減することになれば…、と考え、続編を書くことにしました。

 ちなみに前回取り上げたのは、

①淵や滝壺を泳いで渡る際、引いたザイルが足に絡まって溺れそうになった。

②淵や滝壺を泳いで渡る際、底に沈んでいく水流に足を取られて溺れそうになった。

③急な増水で、小さな河原に張ったテントごと流されそうになった。

以上、3つのケースについてでした。

 その記事のラストで、落石や雪渓の横断についても書きたかった、と記した通り、今回はこれら2点についてお伝えします。

 

石は、不意に無言で落ちてくる

 落石という言葉には、2つのニュアンスがあります。1つは「落ちている石」、もう一つは「石が落ちてくる」ことです。

 前者は、特に山岳道路や林道を車で走行している際に注意すべき落石です。沢登りを始め、登山においては、原則として問題になりません。歩行中の人間にとっては、原則として、「落ちている石」と、別の理由でそこにある石との間に意味の違いはありません。

 今、敢えて、太字と下線を併用し、原則として を強調しました。では、原則以外とはどういうケースでしょうか。

 沢登りで足場にすべきなのは、上に乗ってもグラつかない、安定した石です。落石に限りませんが、足を乗せるとグラグラする、いわゆる浮石は避けなければいけません。

 逆に言うと、新参者の落石は、まだ収まるべきところに収まっていない場合が多く、結果として浮石化しやすいのです。しかも、岩肌を剥がれて落ちてきたタイプの場合、角が粗く、手をつくなどした際に怪我しやすい、という難点もあります。

 渓を歩き慣れてくると、ごく自然に足を乗せる石を適切に取捨選択するようになりますが、それでも注意するに越したことはありません。

 一般の登山でも同様です。場合によっては、すでに落ちてしまった石も悪さをする、ということを覚えておいてください。

 

 さて、続いて、2つめのケース。今、まさに落ちてくる石について、です。これは、怖いです。崖を攀じ登っている時など、音もなく耳元を過って、谷底に吸い込まれていきますから。時間差で、カランッ、ゴロゴロ、なんて音が下から聞こえてくるんです。まあ、これを完璧に回避するのは難しいので、できるだけリスクを抑えるのが肝要でしよう。

 極論すれば、行かなきゃいいのですが、それでは話が終わってしまいます。でも、真実なんですよねぇ。ここは現実的に、渓には入るが、落石を生じやすい場所には近づかない、というスタンスで考えてみましょう。

 落石が起こりやすい場所、というのは以外と簡単に分かります。落石が頻繁に起こる場所は、遠目に見ても、そこに散乱する石の色合いとか風合いが違いますから。長年、水に洗われて丸くなった石たちと違って、粗々しています。「できれば近づきたくない」的な危険な香りをプンプン匂わせていますので、渓を歩く際には、足元と同時に、前方にも注意を払い、落石が多い箇所を避けるようなルート取りをする必要があります。

 そうは言っても、どうしても通らなければならない場合が少なくありません。そういう場所は、岩と岩の間をすり抜けるような状況も多いので、ヘルメット手袋(軍手も可。但し、保護という意味では若干弱い)は必携です。もちろん、着用しなければ無意味です。

 それから、意外に多いのが、人為的な落石。た滝の高巻きなどでよくあります。草付きを闇雲に這い上がっていると、つい足元がおろそかになって、草間の浮石を蹴り落としてしまいます。

 滝の場合は、(確保する場合は別として)一人の登攀が終了するまで、後続は安全なところで見守ることが多いでしょうが、高巻きの時は、次々に登る場合もよくあるので、注意が必要です。万一、落石を生じてしまったら、「ラクーッ」などと叫んで注意を喚起します。また、そこは総合的な判断になりますが、敢えて団子状態で登るという選択肢もあり、ですね。

 

ちょっとした渓でも、雪渓は侮れない

 最初にお断りしておきますと、僕ごとき、雪渓の処理について申し述べる立場にはありません。スノーブリッジに行く手を阻まれ、上を行くか、くぐり抜けるか、などと逡巡するような渓には行ったことがないからです。それでも、やっぱり怖い思いはしました。それをご披露するだけです。

 現場は、初級者向けながら、滑滝(なめたき)の美しさで人気の高い、山梨県の釜の沢源流です。

 源流釣りなら、雪を踏み締めて遡行し、巨大な雪のブロックの間から毛鉤を落としたり、ごく小さなスノーブリッジを横目で見ながら、その脇を巻き登ったりしたことはありますが、本格的に雪渓の上を歩いたことはありませんでした。

 上述の釜の沢遡行の際も、中流域までは残雪の気配など全くありませんでした。途中、渓の中で1泊し、翌日、快調に遡行を続け、源流にかかる結構なら落差の滝を超えたところに、その雪渓はありました。まあ、雪渓と言っても、細長く上流に向かって突き上げる谷筋に縒れた糸のような痩せた雪が詰まっている程度ではあったのですが。

 僕はあまり気にせず、右岸(下流から見れば流れの左側)の岩が露出したラインにルートを取りました。理由は簡単で、滝の左側を攀じ登ったからです。本来のルートとしては左岸に移りたかったのですが、さすがに、滝の落ち口近くでトラバース(横切ること)するのは避けたかった。

 ところが、行けども行けども雪渓は途切れず、見上げると更に斜度を増して霧の中に消えています。困りました。どこかでトラバースしなければなりません。滝の落ち口からはすでに100メートル近く登っています。振り返ると、問題の雪渓が、いびつなスキーのジャンプ台のように、例の滝の落ち口でぷっつり切れ落ちているのが見えます。

 怖かったです。幸い、ストックは持っていましたが、足元は合成フェルトを貼ったフラットな渓流シューズです。アイゼンなんかありません。ストックと渓流シューズのつま先で足場を切りながら、慎重にトラバースしましたが、生きた心地がしませんでした。

 慣れた方には何でもないことかもしれませんが、僕と同じようなレベルの方もおられると思い、エピソードとして書かせていただきました。

 まあ、この件については、対策と言っても、事前に雪渓の存在を予見し、雪渓が脅威とならないルート選択をする、ことに限るのですが。

 くどいようですが、本格的な雪渓処理については他書をご参照ください。スノーブリッジやクレバスを含め、注意点がいろいろと記載されています。中には、雪渓の端から懸垂下降で渓に降りる方法まで書いてあるものも…(^_^;) 次元が違いますね。

 

 気がつくと、前回を超えた長文になってしまいました。他にも、害虫対策など、書いておきたいことがありますが、今日はここまでにします。

 最後まで読んでくださった方、いつもに増してありがとうございました。

 

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沢登りでの「しくじり」を、経験者が語ります!

沢登りのシーズン到来! 沢登り的自己紹介

 毎日、暑い日が続きます。沢登りの季節ですね。僕は多少、沢登りをやるんですが、全くの独学で、遡行(山行)もほとんどが単独行です。沢登りでは、不測の事態に陥った場合、一気に致命的な状況を招来する可能性が高いので、単独行は慎むべきなのですが、諸事情でそんな状態が続いています。

 最低限の登攀技術(登る、というより、降る技術)として、懸垂下降だけはできるように練習しました。滝や岩は登るより降る方が数倍難しいですから。

 単独行をやっている時点で無謀と言われればそれまでですが、自分なりには節度を持って渓に通ってきました。ザイルでパートナーに確保してもらわないといけないような滝がある渓は避けてきましたし、ちょっとでも自信が持てなければ直登せず、高巻きするようにもしました。但し、高巻きは高巻きで危険も多いので、油断はできません。ルート選択を誤ると、下降点を見つけられず、どんどん上へと追い上げられてしまいます。

 そんな感じでやってきたので、いわゆるクライミング技術は全くありませんが、地図を読む読図力はそれなりについてきたと思います。

 

僕の沢登り的事故紹介

 さて、今回は、僕が沢登り中に経験した「死ぬかと思った」的エピソードを、三つほどご紹介します。面白い話ではなくて、ごく初歩的な判断ミスも含めた失敗談です。

 ほとんどの方にとっては、常識の範疇だと思いますが、「分かっちゃいるけど…」という場合もあります。この記事を読んで、読まなかった時より、多少でもリスク回避できる可能性が高まれば、それで十分です。

①山で溺れる その1

 僕は泳ぎがあまり得意ではありません。平泳ぎなら何とかなります。沢登りでは、大淵を泳いで渡ったり、滝壺を泳いで滝の取付き点まで行くこともあります。そんな時、後続者のために先頭の者がザイルを引いて泳ぐこともあります。あっ、泳ぎながら引っ張るわけではありませんよ。岸に着いてから、ザイルに結びつけたザックに掴まった後続者を引っ張ってあげるのです。

 先頭の者はザイルの先に輪を作り、それを肩にかけて泳いでいくのですが、その時、気をつけないと、ザイルが足に絡まることがあります。僕もそれを経験したことがあります(その時は珍しくパートナーと一緒でした)。

 その渓は泳ぎを楽しむのが目的になるような小渓(奥多摩の海沢です)で、淵といっても可愛いものでしたが、溺れかけたことは確かです。

 ザイルを引いて泳ぐ際は要注意です(まあ、この記事を読んで下さっている方でも、そういう状況に直面する方はほとんどおられないでしょうけれど)。

 

②山で溺れる その2

 同じく奥多摩の川苔谷本流では、もっと怖い経験をしました。川苔谷は、奥多摩では超有名な沢登りのメッカ逆川の本流です。林道沿いではありますが、深い渓谷が続き、全て水通しで行くには相当の登攀技術が必要です。

 途中には名の知られた名瀑があり、適当なところで流れに降りて遡れば、見ることができます。その日は、前から気になっていた「聖滝」を見ようと、逆川遡行の前菜のつもりで川苔谷本流に降りました。

 水量は多いですが、さほどの悪場もなく、聖滝に着きました。但し、聖滝そのものは細長い淵の向こうに小さく見えるだけです。

 もう少し、近づいてみようと、何の気なしに泳ぎはじめました。ところが、淵の半ばまで進んだあたりで、何者かにグイッと足を引っ張られたのです。もちろん、水中に、です。引っ張られた足先が下がり、水面付近より明らかに低い水温を感じます。焦りました。力づくで足を引き抜き、バタバタと手足を動かして、何とか生きて帰ることができました。

 淵(特に滝壺)は、見た目は穏やかでも、水中で複雑な流れを作っている場合があります。特に水底に向かう流れは怖いです。いや、半端ではない力でした。

 前段のエピソードの逆を行きますが、こういう場合はザイルをつけていた方が安全なくらいです(笑)

 皆さんも渓(あるいは川でも)で泳ぐ場合には気をつけてください。川辺のキャンプなどでお子さんが川に入る時も同様です。流れが膝丈を越えると、一気に足を取られる可能性が高まります。ホント、注意してくださいね。

 

③山でテントが流される

 奥秩父の股の沢にでかけた時のことです。股の沢へのアプローチは、森林軌道跡を歩く部分もあったりして、なかなか楽しいのですが、その日は出発が遅れたこともあって、予定したよりだいぶ下流で野営しなければならなくなりました。

 良いテント場はないか、と、股の沢の本流にあたる入川沿いの登山道をキョロキョロしながら進んでいくと、気持ちの良い砂地の小川原が目に留まりました。

 川原ですから、もちろん、流れのすぐそばです。もう先が見えましたね。砂地は確かに居心地、寝心地抜群ですが、流れのそばに砂が溜まっているということは、ちょっと増水したら、すぐ水に浸かる場所でもある、ということです。

 いや、分かってましたよ。でも、好天だったんですぅ。その夜、降り出しました。もうシュラフに入ってたんですけどね。

 まだ大丈夫、と思いながら、ぐずぐずしていると、けっこう近いところでチャプチャプと水音が…。眠気も吹っ飛び、外を覗くと、もう砂地はどこにもありません。このままジッとしていれば、何の苦もなく下山できそうな…。

 つまらない冗談はさておき、慌てて撤退です。暗闇の中、ヘッドランプの明かりを頼りに持ち物を掻き集め、最後はサンタクロースよろしく、大袋と化したテントに数多の品々を詰め込んだまま、肩に担いで登山道まで這い上がりました。

 これ、確かに、テント場ではそんなに降ってなかったんです。でも上流で降ったんですよね。いくつもの沢筋から流れ下る水を集めて、入川本流はこんなになるんですねぇ。

 ポイントは二つです。今、ここで降ってなくても、上流で降れば増水する(あっ、もちろん、雪渓ダムの崩壊などの場合も要注意ですよ。上流に異変があると、渓の水が濁りはじめることもあります。何事も危険を未然に防ぐのが最上のリスク管理です! なんて、お前が言うなって感じですけど…。

 それから、砂地の川原は気持ちいいいけど、綺麗なバラには棘がある…。まあ、でも、泊まりたくなりますよね。高級ホテルのスイートルームのベッド以上の心地よさですから。泊まったことないけど。

 

結語

 なんか、調子に乗ってダラダラ長文になってしまいました。他にも、落石注意、とか、思いがけず現れた滝上の雪渓横断注意、とか、いろいろありますが、今日はこの辺で擱筆させていただきます。

 最後まで読んでくださって、ありがどうございました。

 

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