夕暮れフェルマータ

 人生のマジックアワーに振り返る好きな本とか自然とか…。

バードウォッチング 晩夏の候の密かな楽しみ

 八月下旬って、どちらかと言えば、オフシーズン?

 野鳥はもちろん四季折々に見られるのですが、やっぱりポイントとなるシーズンというのはあって、ほとんどのカモ類は、囀りの美しいオオルリキビタキクロツグミなどは、です。

 留鳥カワセミなどは、文字通り、一年を通して見ることができますが、川辺に夏草が生い茂るこの時期は、とても観察の好機とは言えません。

 初夏、競い合うように囀っていた小禽たちも、恋の鞘当てが終わった今では、めっきりおとなしくなってしまいます。

 ツバメはまだ帰りませんが、さすがに見慣れてしまいましたし…。

 やっぱり、ジョウビタキツグミ、カモ類が飛来する十月以降まではバードウォッチングのオフシーズンなのでしょうか。

 

この時期だからこそ、バードウォッチングの地味な楽しみ方

 実はそうでもないのです。この時期ならではのマニアックな楽しみ方があるんです。3つほどご紹介しておきましょう。

その1 「今年生まれ」の幼鳥を見つけよう! 

 留鳥夏鳥にとっては、子育てが一段落するのがこの時期。手塩にかけた雛鳥たちも無事巣立っていきました。もう「雛」ではありません。容姿だけは一人前(但し、幼鳥はまだ羽色等が安定しないことが多い)。しかし、挙動はまだまだぎこちない。近づいても警戒心が薄いですし、やっぱり確かに童顔です。

 人家の近くであれば、スズメやツバメ、カラスなど。山間まで足を伸ばせば、オオルリキビタキ、カラ類など。今年生まれの初々しい「子鳥」たちを見ていると、自然と頬が緩んできます。

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今年生まれのオオルリ。可愛いですね。写真はCC0の画像をお借りしています。

 

その2 夏鳥の地鳴きを聴いておこう! 

 上に挙げた、オオルリキビタキクロツグミなどの夏鳥は、極めて美しい囀りで、我々をも楽しませてくれますが、あまりにそのインパクトが強いため、普段、彼らがどんな声で鳴いているのか、分からないままになってはいませんか。

 夏鳥たちはもうすぐ南方へと旅立ちますが、この時期は、彼らの地鳴きを聴き取るチャンスでもあります。と言うより、今しか聴けません(冬季に東南アジア等に出かける予定のある方は別)。

 茂りに茂った夏木立の奥から、彼らの地味な地鳴きを聴き取るのも、この時期のバードウォッチングの隠れた楽しみの一つだと言えましょう。

 

その3 高原の夏鳥の中継地を探せ!

 高山乃至高原で避暑を楽しむ小鳥たち。彼らに会うためには、こちらが避暑地に出向かなければいけません。でも、そんなお金も時間もない、というあなた(って、僕のことですけど)、諦めるのはまだ早い。

 夏鳥たちはもうすぐ南方に旅立ちます。彼らは個人旅行を好みません。ツアーを組んで海を渡ります。その集合場所は…?

 意外と、あなたのお住いの近くかも知れません。

 実際、僕の住んでいる岐阜県西部の半農村地帯では、毎年、春と秋にはノビタキの小さな群れが数日を過ごしていきます。オスの多くも、例のくっきりした黒い頭をしておらず、一見するとノビタキっぽくないのですが、メスの容姿を知っていれば、間違いなくノビタキだと確信できます。こうした渡りの途中での出会い(夏鳥)としては、コサメビタキなども見かけたことがあります。

 普段は山地に棲息している夏鳥たちが、市街地の公園などにちょっと立ち寄るのも、そう遠くない時期になってきました。

 正直、まだちょっと早いのですが、冬鳥が飛来する前に要チェックであることは間違いありません。

 

 以上、バードウォッチングが停滞しがちなこの時期の、僕なりの乗り切り方を書いてみました。それでは、今日はこの辺で。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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テンカラ釣師。九月の釣行、どうしますか?

禁漁間近の渓流釣りは?

 近所の神社の森から聞こえる蝉の声が、クマゼミからヒグラシに代わりました。日中の暑さは相変わらずですが、確実に季節は動いているようです。渓流釣りの方も、標高の高い源流を除いて、小休止といったところでしょうか。

 さて、九月に入り、禁漁が近くなってくると、産卵期が近づき、水温も下がって、渓流魚は再び、よく毛鉤を追うようになります。実際、タイミングさえ合えば、比較的容易に良いサイズの魚が釣れてしまうのも、この時期の特徴です。

 ただ、シーズンも終盤を迎え、それなりが釣欲(?)が満たされたこともあってか、この時期になると、ムキになって魚を追い求める気持ちが薄れてくるのも毎年のことです。産卵準備のために食いが立っている魚たちを毛鉤で釣ることに、若干の後ろめたさすら感じたりします。

 まあ、これは先ほど述べたように、取り敢えず今シーズン分の釣欲は満たされたからこそ思えることで、別に立派な心持ちではないんですけど…。

 ところが、一時的にせよ、無欲な気持ちになって竿を振ってみると、思いがけず良い釣りができたりするのも面白いところです。

 

ちょっと寄り道。僕の釣行スタイル

 そういえば、このブログでもこれまで言及したことがなかったと思いますが、僕は朝駆けの釣りはほとんどしません。日帰りの釣行でも自宅を出るのは8時過ぎ、要は、釣行のための早起きはしないということです。

 その分、帰りは遅いです。小沢とはいえ、源流が多いので、帰路は常に日没との競争になります。僕にはこちらの方が合っているみたいです。特に暮れ方の沢には独特の味わいがあります。隠れていた山の精霊が木々の影からそっとこちらを覗いているような不思議な気分になります。

 但し、これは無責任にお勧めしてはいけないことですね。日没後の山、特に沢筋は想像以上に暗く、状況によっては遭難と隣り合わせの事態にもなり兼ねません。僕自身、その日の天候、自分の体調、装備、悪場の通過時刻など、自分で意識している以上に、いわば無意識にリスク管理をしながら行動しているように思います。いわゆる経験値というやつです。

 これは決して自慢しているわけではなく、初心の頃の自分と比較しての実感です。自分の安全は自分で守る。そのためには、その時々の自分の力量に即した釣行を行うことが大切です。

 

話を戻して、九月の渓流釣り、僕の場合

 九月(禁漁間際)の釣りの話に戻ります。この時期になると、源流への志向が弱まって、気楽に竿を振ってみたくなるのが毎年のことです。もちろん、近所の川で、ハヤやオイカワと遊ぶのは禁漁後のこと。

 この時期は、やけに空が深く感じる林道をうねうねと登って、それぞれの沢の良いところをつまみ食いしたり、ダムの流れ込みに降りて、遡上途中(?)の大型魚を狙ったりすることが多いです。

 上述した通り、意外と大物が釣れるので、早々に釣りを切り上げて、日帰りキャンプよろしく、河原で魚を焼いて食べることもあります。後は、ただポカーンとして過ごす。悪くないですよ。

 秋口の渓谷は、ちょっとしたエアポケットに入ったみたいに寂(しず)かです。夏鳥の囀りも聞こえず、水量も微妙に減って、あたかも去りゆく夏に取り残されたかのよう…。

 でも、それが良いんです。なんかホッとするんです。

「今年はどこに行こうかな…」

 心のアルバムを捲りながら、そんなことを思い巡らすのも、秋の夜長の楽しみです。

 

 それでは、今日はこの辺で擱筆致します。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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「門を出て故人に逢ひぬ…」 与謝蕪村の俳句鑑賞

作品の取捨のこと

 これは別に蕪村に限ったことではありませんが、同じ題材、同じ主題で、同時に複数の作品が生まれる場合があります。もちろん、表現が異なるのですから、切り取り方やウェイトの置き方に何らかの違いはあるのですが、作った当初はなかなか客観的な判断をしにくいものです。

 また、他者が選句乃至選歌した句集や歌集の場合には、どうしてあの秀句(秀歌)が入っていないのか、と疑問に思うこともあるものです。

 例えば、近代の歌人若山牧水の妻、喜志子夫人が選した岩波文庫版『若山牧水歌集』からは、

 かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ

 という秀歌が漏れています。喜志子夫人はご自身も歌人であり、少なからず奔放であった牧水を生涯に渡って支え続けた方ですから、この歌の良さが理解できなかったとは思えません。何かしらの事情があったのでしょうか。分かりません。

 古いところでは、西行の名歌中の名歌、

 心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕ぐれ

 を、当時の歌壇の重鎮である藤原俊成が理解できず、勅撰の『千載集』にも入れず、さらに『御裳濯河歌合』でも、負けと判じた例もあります。

 

与謝蕪村「門を出て…」の場合

 門を出て故人に逢ひぬ秋の暮     蕪村

 この一句もまた、蕪村の高弟、高井几董が撰した『蕪村句集』から漏れています。そして、この作品と同時に作られた、

 門を出れば我れも行人(ゆくひと)秋の暮

 が入集しているのです。

 これは几董の独断ではなく、生前、蕪村自身が「門を出て」を捨て、「門を出れば」を取っていた可能性が高いのですが、以下のように考えると、それも頷ける気がします。

 すなわち、「門を出れば」の一句は、蕪村が敬仰して止まない芭蕉翁の名句、

 この道や行く人なしに秋の暮

 へのオマージュであり、こちらを捨てて、あちらを取るという選択は、蕪村自身、心情的に難しいものがあったと思われるからです。

 しかし、蕪村の良さがにじみ出た佳品はどちらか、と言えば、軍配は間違いなく「門を出て」の方に挙がるでしょう。

 秋の暮の寂寥感を分け合う故人(旧知の俳友を想定しても良い)がいることこそ、蕪村の本領だからです。蕪村の俳句が醸し出す「懐かしさ」はこんなところからも発信されているのです。

 芭蕉だって、決して孤独だったわけではありません。人間関係だけをみれば、むしろ芭蕉の方が厚みも広がりも有していたかも知れません。でも、風雅(俳諧)の道を追求する時、芭蕉は常に孤独でした。芭蕉を心から敬愛する多くの弟子たちに囲まれていても、それは変わりませんでした。もちろん、だからこそパイオニアなのですが…。

 その点、蕪村は違います。蕪村は「芭蕉翁に還れ」とは強く主張しましたが、自らが新風を興そうという野心は持っていませんでした。先陣を切ってフロンティアを切り開いていくタイプではなかったのでしょう。

 もし、そういうタイプだったら、「門を出れば」の方を捨て、「門を出て」を取っていたかも知れません。

 その上で、彼の遺稿の中から、「門を出て」の一句を見出したことはとても尊いことのように思います。こうした背景も含めて、僕はこの作品が大好きなのです。

 

 それでは、今日はこの辺で擱筆させていただきます。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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うつくしやせうじの穴の… 小林一茶の一句鑑賞

「月花や…」 一茶の俳諧観は?

 小林一茶については、当ブログで二回ほど取り上げています。その際、彼の生涯について素描しておきました。

 一茶は信濃北辺の農家に生まれ、十五の歳に江戸へ奉公に出されました。その後、苦労をして俳諧宗匠になりますが、父の没後、継母及び腹違いの弟との間で遺産相続の争いがあり、その解決に十年以上の年月を費やすことになります。

 ようやくにして遺産問題に一応の片がつき、一茶が故郷に落ち着いた時には既に五十歳になっていました。

 彼はその感慨を、

 月花や四十九年のむだ歩き        『我春集』

 と詠んでいます。初句に云う「月花」は、「雪月花」あるいは「花鳥風月」のことで、俳諧のことを指しています。

 俳諧に生涯を賭けた芭蕉と異なり、長年の煩わしい遺産争いを戦い抜き、故郷の家に居場所を得た一茶にとって、それまでの四十九年は「むだ歩き」と断じるべき時間だった訳です。

 

「うつくしや…」 一茶のセンシビリティー

 ようやく故郷に落ち着いた一茶でしたが、尻に悪性の腫れものができ、激しい痛みと高熱とに襲われます。不断の苦痛に苛まれる床にあって、一茶は、

 うつくしやせうじ(障子)の穴の天の川  『七番日記』

 という句を詠みます。

 この句は、七夕の句で、季語は「天の川」、季節は秋です。自身の体は痛みに苛まれていますが、それでもようやく手に入れた、文字通りのマイホーム。だからこそ、安心して「天の川」への憧れも詠むことができるのでしょう。

 永遠の旅人を目指した芭蕉が、「奥の細道」の旅の途上で詠んだ「荒海や佐渡に横たふ天の川」の一句とは、ほとんど対極にある句境です。

 芭蕉は常に「今、ここ」にある自分に満足せず、常に新たな境地を追い続けました。しかし、一茶は違います。むしろ「今、ここ」にある自分の目で見、耳で聞き、心に感じたものをそのままに詠みます。その中にはもちろん、一茶自身の体や心の状態も含まれます。

 「うつくしや…」は、体の不調に苦しみながらも、故郷に居られる安心感あればこその伸びやかな感受性が横溢する秀句です。

 

「猫の子の…」 ユーチューバー・一茶(笑)

 一茶はあくまでも「今、ここ」にいる自分を立脚点に世界を見ています。そこは汚辱に塗れた現実がありますが、同時に、健気に生きるものたちとの懐かしい出会いもあるのです。それは、人間に限りません。

 猫の子のちよつとおさへる木の葉かな   『七番日記』

 例えば、こんな作品を読むと、YouTubeなどにアップされている可愛らしい猫の動画を思い出しませんか。

 芭蕉俳諧では考えられない世界です。

 小林一茶、いいですね。今回は三句ほどご紹介できました。また、機会を作って、ご案内できたら、と思っています。

 

 それでは、今日はこの辺で擱筆致します。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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テンカラ釣り 記録より記憶に残るイワナ・アマゴ・ヤマメのヒットシーン【アマゴ編】

揖斐川水系・源流の釣りと徳山ダム

 岐阜県西部に移住してきてからは、揖斐川の支流・源流に通ってきました。揖斐川水系は基本的にアマゴの渓ですが、最源流にはイワナが棲息している渓もあります。

 僕が揖斐川の源流に通い始めた頃は、徳山ダムの工事が佳境に入った時期で、工事の進展に伴って、ダムサイトの道が付け替えられたり、検問があったり、と、色々な経験をしました。また、ダムより上流は漁協の管轄ではないので、成魚放流はもちろん、稚魚放流も行われておらず、ネイティブに近い状態の魚を相手にすることができました。

 旧徳山村の皆さんはすでに移転されていましたが、小学校・中学校をはじめとして、往時の暮らしの跡を留める建物や敷地、橋などが、まだ少なからず残っていました。

 徳山ダムの工事の進展を横目で見ながら徳山に通い続けましたが、ダムが完成し、湛水が始まると、ダムより上流では実質的に釣りをすることができなくなりました。

 

原谷・小蔵谷の釣りとアニマル & バードウォッチング

 そのため、僕はメインの釣り場を徳山ダム直下の幾つかの支沢に変更せざるを得なくなりました。当時、最もよく通ったのは、原谷と小蔵谷です。この二つの谷は、ほとんど向き合うような形でそれぞれ右岸・左岸から揖斐川本流に流れ込んでいます。

 どちらの渓も林道が付かず離れずでかなり上流まで伸びています。但し、原谷の方は、崩壊が激しく、車で入ることはできません。徒歩の場合も、崩壊地があるので、注意が必要です。

 どちらもアマゴの渓です。イワナが釣れたことはありません。シカ・カモシカニホンザル・タヌキ・キツネ・イタチ・テン・アナグマなど、動物との出会いが多く、それも楽しみの一つです。

 また、原谷にはアカショウビンが棲息しています。カワセミやヤマセミも姿を見せます。もちろん、他にもホトトギスアカゲラオオルリなど、たくさんの鳥を見ることができます。稜線の上空をゆったりと舞うイヌワシの姿を見ることもできます。バードウオッチングにも好適な場所だと言えるでしょう。

 両谷とも、コンディションが良ければ、それなりの釣果が望めます。アベレージは7寸くらいですが、ザラ瀬の間のちょっとした淵など、えっ、こんなところに、と思うようなポイントで意外な大物が釣れることもあります。

 アマゴは、イワナはもちろん、ヤマメよりやや小振りであろうと言われていますが、源流までアマゴの棲息域になっていることもあってか、けっこう大きく育っている場合もあるようです。

 僕自身は尺一寸が最大ですが、餌釣りで丁寧に探れば、もっと大きな魚も期待できると思います(ルアーはポイントが限られると思いますが、大場所も幾つかあるので、もしかしたら、もしかするかも、です)。

 

但し、記事の内容は最新情報ではありません!

 但し、前述のように、僕がよく通っていた数年前の時点で、すでに原谷沿いの林道は事実上、廃道化し、徒歩で通行するのも危険な箇所がありました。特に近年の状況については全く分かりませんので、釣行される場合は慎重の上にも慎重を期してください。

 また、小蔵谷の方は、どの区間を釣るか、にもよりますが、滝の登攀乃至微妙な高巻きを要する箇所がありますので、そういった点にも注意が必要です。

 具体的な渓の名前を挙げたのは、少しでも読んでくださった皆様の参考になれば、と考えてのことです。ご紹介をしておきながら申し訳ありませんが、実際に釣行される場合には、事前の情報収集も含めてくれぐれも慎重に、自己責任でお出かけください。繰り返しますが、原谷・小蔵谷とも、近年の状況については全く分かっておりません。

 

 それでは、今日はこの辺で擱筆させていただきます。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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テンカラ釣り 記録より記憶に残るイワナ・アマゴ・ヤマメのヒットシーン【ヤマメ編・本題】

東京時代のホームグラウンド、秋川源流での釣り

 東京(八王子市)に住んでいた頃は、地の利もあって、僕のテンカラ釣りのホームグラウンドは秋川多摩川の支流。上流で北秋川と南秋川に分かれる)でした。

 もともと、沢登りから入ったこともあり、僕の釣り場は源流に近い沢がほとんど。かつて沢登りで通った沢の多くがそのまま釣り場になっていたりします。

 秋川でいうと、南秋川の小坂志川ハチザス沢、北秋川の月夜見沢惣岳沢などです。いずれも小渓で、場所によってはテンカラ竿を振るのも難儀なことがありますが、何と言ってもアプローチの短さが魅力です。

 釣れてくるのはほぼヤマメ。一度だけ小坂志川の更に小さな支沢で、尺にわずかに足らない見事なイワナを釣ったことがありましたが、あれは何だったのでしょう?

 ヤマメのアベレージはリリーズサイズを脇に置いても17〜18cmくらいでしょうか。正直、7寸(約21cm)を越えれば「大きいのが釣れた!」という感じです。自分も含め、釣師が多いので、十分に育つ前に釣られてしまうのでしょう。

 

ヤマメが暮らす小さな世界

 秋川水系での釣りの隠れた楽しみは、釣師が全く入っていないような、小渓ならぬ極小渓を、国土地理院の地形図から見つけ出し、事実上の天然ヤマメを釣ることです。

 これが、意外とあるんです。民家の裏手の小道をたどり、藪に阻まれた辺りで沢筋に降りて、流れにかぶさる草を掻き分けながら進みます。ポイントらしいポイントもほとんどないのですが、それでも時折、ここぞという小さな淵があったりします。慎重に毛鉤を落とせば、安心し切った美しい魚がゆっくり毛鉤を咥えてくれます。

 こういう沢で釣れる魚は本当に美しく、サイズも軽く7寸を超えてきます。小さな生態系の中で、バランスよく世代交代を繰り返してきたのでしょう。だから、もちろんリリースします。

 こうした極小渓は、ある意味、貴重ですね。毎日のように釣師に攻められて疑心暗鬼になった魚たちばかりを相手にしていると、こちらの身勝手とは言え、ちょっとギスギスした気持ちにもなりますが、ここは別天地。

 但し、そこは文字通りのスモールワールドなので、ちょっとした外部からの刺激にもすぐ反応して消滅してしまうことでしょう。それは決して釣師云々の問題だけではなく、例えば上流の植林帯で大規模な伐採が行われる、とか、空梅雨で水が涸れてしまうとか、様々な要因が考えられます。

 自分から踏み込んでおいて何ですが、だから、僕はそっとその地を離れます。滅多に訪れることはなくとも、その小さな世界が確かに存在している、と思うだけで、けっこう満ち足りた気分になるものです。

 

追記

 ヤマメのヒットシーンを語るなら、年に数回、泊りがけで出かけていた多摩川源流の小室川谷小常木谷竜喰谷などを取り上げるべきかも知れませんが、それはまたの機会に。

 但し、今、名前を挙げた谷(特に小常木谷)は、十分な沢登りの装備と一定以上の経験が必要です。安易な気持ちで入渓するのは危険です。僕自身、滝の登攀に自信がないので、小常木谷は下流の小区間しか釣っていません。入渓する場合には、十分に情報を収集して、ご自分の遡行技術のレベルに合った釣行計画を立ててください。

 

 それでは、今日はこの辺で擱筆致します。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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テンカラ釣り 記録より記憶に残るイワナ・アマゴ・ヤマメのヒットシーン【ヤマメ編・前説】

ヤマメとアマゴ、「陸封」のことなど。

 ヤマメはビジュアル的にも大変美しい魚です。特に、体側についた楕円形のパーマーク(幼魚斑)がキュート。地域差が著しいイワナよりは、はるかに統一された容姿を持っています。但し、専門的に見れば、ヤマメにもかなりの地域差が見られます。

 一方、アマゴはヤマメにそっくりですが、ヤマメにもあるパーマークに加え、小さな朱点が体側に散りばめられているのが特徴です。

 ちなみに、イワナ・ヤマメ・アマゴは氷河期の後、水温の上昇に伴ってランドロック(陸封)されたことで知られています。以前は、サケのように海に下っていたのです。今でも一部はスモルト(銀毛)化して海に下ることがあり、それぞれ、アメマス(イワナ)・サクラマス(ヤマメ)・サツキマス(アマゴ)と呼ばれています。

 サケ科の魚たちは、上述した降海型・陸封型の問題も含め、種類・地域によって様々な生活パターンを持っていることが知られています。

 大雑把に言うと、イワナはより上流に棲み、ヤマメやアマゴはイワナよりは下流に棲む場合が多いと言えます。但し、イワナがいない渓では、最上流部までヤマメやアマゴが棲息しています。

 また、ヤマメとアマゴでは棲息している地域が分かれます。というか、基本はヤマメで、アマゴが中部及び近畿の太平洋側・四国・瀬戸内・九州の一部(瀬戸内海側)に固まって分布している感じです。但し、近年は放流が盛んで、少なからず生態系への配慮が不十分なまま行われている実情もあって、とみに例外が増えてきているようです。

 

ヤマメとアマゴの棲み分け 多摩川源流の実例と考察

 前置きが長くなりました。現在、僕が住んでいる岐阜県西部は完全にアマゴの地域ですが、かつて住んでいた東京都西部だと事情が違いました。ホームグラウンドだった多摩川支流の秋川はヤマメオンリーでしたが、多摩川源流まで足を伸ばすと、アマゴもちらほら釣れてきました。

 それも、面白いことに、例えば、源流に近い支流の一つ泉水谷の支沢である、小室川谷とそのすぐ上手の大黒茂谷では、小室川谷がヤマメのみ、大黒茂谷がアマゴのみでした(20年前の話です。今はどうでしょうか?)。

 もちろん、釣れた魚だけで判断しているので、完璧に棲み分けていると断定はできませんが、大まかには分かれていると言って良いでしょう。

 この分布が、氷河期から営々と続いてきたものなのか、どこかで人為的な作為が加わった結果なのか、それは分かりません。これは知りたいですね。

 まあ、多摩川自体は基本的にヤマメの川なのに加え、アマゴの棲息地域も近いことから、アマゴが人為的に持ち込まれた可能性は否定できませんが…。

 比較的大きな渓谷である小室川谷にヤマメが棲み、小渓と言って良い大黒茂谷にアマゴが棲んでいるのも、その推測を裏付けているかも知れません。これが逆だったら、氷河期以来説が説得力を増すのですが…。

 但し、ヤマメよりアマゴの方が陸封の傾向が強いとも言われているようで、さらにアマゴの方がより源流への順応が良いともされています。そう考えると、アマゴが小室川谷より上流の粗粗とした大黒茂谷に棲息していても不思議ではない気がしてきます。

 うーん、分からん…。

 

 あれ、まだ前置きが続いてますね。すみません。今、タイトルに「前説」と書き加えました。本編はまた今度。今日はこの辺で擱筆させていただきます。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

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